夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

放送豆知識「臨時ニュースその2と五輪」

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このままだと、関西テレビは五輪中継が難しい?

 風邪気味は良くなりましたが、頭が煮詰まり、というか、パソコンの前に来ると、わけわからず。何かいたらいいかわからないときの穴埋め企画を。ちなみにケータイで書くと、うつのが面倒で。

 見出しの関西テレビについて。五輪中継(冬季・夏季とも)は日本の場合、放映料金高騰で日本はNHKと民放が共同でお金を出し合って中継する「ジャパンプール式」を採用していて、このうち民放連に現在あるあるの不祥事で加盟停止になっている関西テレビが、フジの中継する五輪競技や、最悪スポーツニュース素材ができなくなる恐れがあるというもの。
 まぁ、何らかの温情はあるのではないかと思う。ちなみに民放連から停止を食らうと、1.回線使用料金が割り増し。2.あらゆる番組などに使われる音楽の著作権は自社負担などです。

 さて、前回から離れましたが、臨時ニュースとして。あの昭和最後の日はこうだった。
 昭和64年1月6日時点で、当時の高木侍医長より「特に容態に変化はない」という報告は、宮内庁を通じてあったらしい。当時報道の最前線にいたNHK松平定知元アナは、念を入れて確認した後、松の内が明けるからとしこたま飲んで午前様をし、いつものクセで枕元に電話をおいて寝たそうです。

 深夜、侍医長吹上御所に呼ばれ、「陛下の血圧が下がってきている、時間の問題か」という連絡があり、まず皇族方に知らせが入ったらしく、皇族の乗る車が待機する御馬車場で待機していた記者が電話、「松平さん、車両の動きがあわただしくなりました。すぐ渋谷(放送センター)にきてください」と伝えられたのが午前2時過ぎ。それから深夜担当アナが報道特別番組をくみ(NHK斉藤季夫・フジ露木茂・TBS五味アナらしい)、午前6時半過ぎに、時に1本のビールを取材の合間に、4人で食事の際に分け合って飲んだり、時に木枯らし吹く中差し入れの焼き芋で暖を取ったりした4ヶ月に亘る取材が終わった日だったらしい。

 その後の番組を松平元アナが担当したが、酔いが残っていたのか「とにかく陛下がお亡くなりになられたと繰り返し言ったことしか記憶にない」と、物の本に書いていました。

 ただ、今でも半ば都市伝説的になっているのが、「本当に1月7日に崩御したのか」と言うこと。実は暮れに。あるいは三が日になくなっていたが、間が悪いとして意図的に延ばしたのではと言う噂を、今でもたまに耳にします。

 ただ確かにあの日、時代が動く瞬間に立ち会ったことは確かです。余談で、海外旅行から来た人に記者が「元号変わったの知っていますか?」と聞かれ、どっかのとおちゃんが「はい、機内のテレビで。

平城ですか?

 おじさん、グ~グ~っ!