昨日寝る直前、ケータイに速報で「カンニング・中島さん逝去」と出た。えっ、来春復帰では・・・と思いしばし絶句した。家族、相棒であり幼馴染な竹山。なんともむなしいのである。
思えば昨日だけで三人なくなられたというニュースが入ったことになった。青島さん、岸田今日子さん。うちの地区では「なくなると三人はついて逝く」という迷信みたいなのが年寄りにはあって、それをちいさいころからばあちゃん同士のお茶のみ話としてきいていたのをばつが悪いながらも思い出し、「ほんまにあんのと違うか?」と思ってみた昨日の深夜。
おいらのように養護学校卒などは、県内あちこちから来ていて同窓会や顔合わせがなかなか実現しないという悩みのほかに、周りに亡くなられる人も年とともに出てくるのが、残念ながら多くなったりする。逆に、再会してみると、あれだけ弱かったのに自分で立ち上がり、社会参加をしている人もいるから、命というものは重い。
いじめによる自殺のニュースも、以前ほど聞かれなくなった。これは単に減ったのか、あるいは連鎖反応を避ける意味で表沙汰にしないだけなのか。いずれにしても。、いじめる側も、いじめられた側も、後々大変なことになる前に親がきちんと対応すべきであり、今の、何をもって言うかは別として優良な一握りの学校を除き、いじめに真正面から立ち向かう先生は少ないと思っている。生徒も核家族なら今の先生も核家族で育ってきていた人が多く、「危機管理」という言葉のみに翻弄されたり、自分の道徳スキルがないから生徒に教えられない。学部主任や教頭や校長にアドバイスを伺っても、まるでサラリーマンの企画提出のごとく「却下」に近いものが横行しているんじゃねーのか?