夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

無呼吸症行軍とユセフ・トルコの居た夏?

奥さんや彼女がいたら、感謝するような?病気の見つけ方

 先ずは本題の前に。書き込みにあったレフェリー。先ずは沖識名は、力道山時代のレフェリー。もともと日系人でハワイ生まれ。明治37年とか。
 試合中「わぁーん、つぅぅ~」と、カウントがゆっくりなのですが、フィニッシュ(力道山が空手チョップで倒してフォール)すると、高速カウントになるという、痛快な一面のほか、よく外国人レスラーなどからきているTシャツを破られたり転がされたりと、情けない戸ころもあるのですが…
 1965年(昭和40年)に拳銃不法所持で逮捕されたことがある。 その際、留置場で「プロレスは八百長だろう」と絡んできた若いチンピラに対して「俺が命を賭け、身体を張ってきたプロレスを八百長呼ばわりするとは許せない」と激怒した沖は、このチンピラと取っ組み合って、あっと言う間にのしてしまったという。この時、沖識名は61歳だった(出典:門茂男著『群狼たちの真実』角川文庫刊)。彼のハワイでのプランテーション労働の日々や力道山との出会いは、鳥越皓之『沖縄ハワイ移民一世の記録』(中央公論新書)に詳しい。「ウィキペディアより」

 ユセフ・トルコ(1930年5月23日 - )は、日本の元プロレスラー、元レフェリー、俳優。本名ユセフ・オマール。樺太出身。ユスフ・トルコとの表記もある。俳優のオスマン・ユセフは兄弟。顔はスーパーマリオか、元大洋(現横浜ベイ)のポンセに似ている。
 日本プロレス末期の、ジャイアント馬場アントニオ猪木の対立に際しては猪木派につき、新日本プロレスの旗揚げにもレフェリーとして参加。その後猪木と袂を分かつが、梶原一騎の盟友として猪木VSウィリー・ウィリアムス戦のレフェリー、アブドーラ・ザ・ブッチャーのマネージャーなどで新日本に復帰。力道山のマネージャー時代に親交を結んだ梶原一騎の梶原プロダクションでは役員兼用心棒のような役目も勤めていた。
 由利徹に弟子入りし、喜劇俳優としても永年活躍する傍ら、1990年代には栃木県大田原温泉にあるホテルの会長を務めていた。
 遠藤幸吉らと並んで日本プロレス史の草創期を知る数少ない生き証人の一人である。

 さてさて、火民具・・・もとい。カミングアウトしていたわけではないのですが。5年ぐらい前から睡眠時無呼吸(SAS)の治療を受けています。
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 普段の酸素値が平均に近いこともうあり、写真のようなハイサンソを寝るときに使用しています。一応今でも夜夜中に呼吸がとまるらしく、その後これで酸素を補う役目をすると主治医が申しています。
 小型の、一人用の冷蔵庫なみですが、これで命が救われるというと、なんか守り神に見えます。ちなみに外泊(自宅や施設以外)は、酸素ボンベ(LPガスではない(^^;))で代用しています。

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 しかしながら、本当は、この写真のようなシーパップ(C-PAP)という、装着時は戦闘機のパイロットか登山家の使用するマスクを鼻に当て、圧縮空気で持って気道を広げる治療が一般的です。
 以前はかなり大きいものでしたが、最近は正月の重箱程度にまで小さくなり、マスクも装着しやすくなったとのこと。
 じつはよくよく、この施設をやめて実家で暮らす際に、今後を考えてこれに変えようと思っています。健康だったら何でもできる。産めよ増やせよ楽楽教?。写真は、生の「ちゃめ」後姿。
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