あの当時を語れる方々も年々少なくなり、孫世代、ひ孫世代にいかに「伝えていくか」になりますわな。
ことしは試合が開始前で間に合わず、甲子園での黙祷はありませんでしたが。(やったのか、確認はできていない)
ことしは試合が開始前で間に合わず、甲子園での黙祷はありませんでしたが。(やったのか、確認はできていない)
やれ責任問題だ、なんだかんだはともかく、いつも思うのは「食への貪欲」という気もします。
とある新聞には、「配給品なのか、それらを集めて母親が作ってくれていたのか、残った穀物などを雷おこしのように飴で固めたお菓子を、防空壕の中で食べていた。だから空襲警報になると、不安と、またあのお菓子が食べられるという楽しみが入り混じっていました」とか、小学校の時に定期購読していた学研の本で、たぶん戦争が始まってすぐだと思うが、「どうしてもカレーが食べたくなり、においが漏れないよう目張りをして、残っていたカレー粉と小麦、わずかばかりの肉で、火鉢の弱火で持って食べた記憶が」という小説が印象的ですな。
食べ物のほかにも、「娯楽」という最も贅沢なものをいかに絶やさずしたかも興味深い。大相撲も非公開ながら、「これでも相撲を楽しんでいる」と、空襲で穴だらけの屋根の下国技館でたんぱラジオを通じて行った場所。備前山が優勝したという非公式の記録だけが残っていますが、土俵に撒く塩すらなく、砂を天日干しにすると白い粉が出てくるので、それと塩を混ぜて撒いたとか、「あー、たくさんまいても、少し撒いても変わりはないなぁ」と、NHK解説者だった出羽錦さんが「一つまみ撒き」になった理由とかありましたね。
なにも戦争だけじゃない。病気などで入院して、外出先で食べたラーメンや、ようやく許可が出て食事を口にした時の味噌汁とか、その時その時の思い出はある。
アベノミクスとはいえ、母子家庭の中でも職に恵まれず、わが子に食べさせるものさえ困っている家庭も少なくはない。
贅沢な世の中になり、あの当時おいしいと思っていたすいとんも、ただの味のない団子汁だったとかありますが、せめて今宵は、おなかいっぱい食べて、見たいテレビや聞きたい音楽が楽しめる世の中に感謝ですね。