夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

あのときのメディアは・・・

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 本来は昨日書くべきであったが、何かにやあって協になってしまいましたが、昨日は’’’「阪神淡路大震災」’’’から15年になる。

 おいらは今の施設のあきまちと治療で、遠い病院に入院していて、朝起床で起きて、周りのただならぬ様子にとっさに枕もとのテレビをつけてからというもの、日中暇なこともあって、一日中テレビやラジオにかじりつく日々が続きました。当然相撲は放送中止。夜のバラエティや、アニメも延期され、ワイドショーもすべてが震災。教育テレビは、今は詐欺の温床になると放送されなくなった『安否情報』を流し続けていました。

あの時、震源地からも遠く離れた山形の病院からも、医師や看護師、救援物資が出発したこと。目の前に受け持つ患者さんがいるのに、肺炎の疑いがあるのに診てあげたいが、道具もなくて違う病院へ転院を余儀なくされ、しかもその病院で亡くなったおじいちゃん。透析患者がいるにも、水が出なくてやることが出来ずに、助けを求める病院の看護師など。

あの時の、狂乱ともいえた情報の洪水に対して、今の基礎が出来たと思われるが、奥底の、あのときあーしていた人はどうなったのか、大火になった市場はどうやって再建したの火など、15年たって語れる人が、情報が少なくなってきたように感じます。たとえは失礼だが、戦争や被爆と同じように、多くの犠牲者を出してしまった阪神大震災を、どう語り継ぐかが課題と思います。
しかし激動の阪神に移籍し、古巣巨人に8連勝して見返した小林繁さんがその日に亡くなられたのは、単に偶然なのでしょうか。