今日は阪神淡路大震災から20年の月日のたった日。
詳しい震災の内容はこちら。
当時おいらは23。今入所している施設の空き待ちと治療のために山形市内の病院に入院し、さらに空きがなくて小児科にひとり、大人がいる状態でおりまして、桃色なんか見ていたらまっさきにガキ・・・もといお子様が尻尾をふってくるのでまー看護師の目が怖い記憶しか。
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当時おいらは23。今入所している施設の空き待ちと治療のために山形市内の病院に入院し、さらに空きがなくて小児科にひとり、大人がいる状態でおりまして、桃色なんか見ていたらまっさきにガキ・・・もといお子様が尻尾をふってくるのでまー看護師の目が怖い記憶しか。
その日は起床時間に起こされ(大音量で「クレヨンしんちゃん」が流れる)、枕元にある勝手にベットサイドのアンテナ接続端子につないでいる小っちゃい液晶テレビをつけたら様子が変で、初めは「ただの大きい地震かな」と感じていたが、まさかあんなになるとは。
病棟では「俺のおじさんが頭にいるけど知らないか?」「わたしのおば様がいるんだけど夜だるまさんわかる?」などと、鼻息スーぴーすーびー、おやつのお菓子を食いながらおいらのベットに上さて顔を近寄ってはテレビを覗き込むガキ・・・もといお子様の群れが。
あの当時から親方日の丸はまるで当てにならない。自衛隊機が遅れた一番の原因が当時、
村山首相が「たいしたことない」と勘違いをして、二度寝したからで、たまりかねた航空自衛隊隊長が「訓練スクランブル」と称して真っ先に上空を飛んだらしい。
あの時の子供も二十歳なのねぇ。