裁判員制度における、チャレンジドの位置・役割・・・
きのうの「タックルスペシャル」で、現官僚と元官僚の対決を、風呂を入る前に少し見ていて、「どっちも現実離れしているナァ」という印象を受けました。まぁ、霞ヶ関・あるいは各省庁や出先機関、相撲協会にいれば、それだけでひとつの村というか組織であって、休みの日以外は外部との接触も少なく、間違ったことをしていてもそれがその組織の中で「ぜったーーーーーい!(絶対)」だったりするわけなのかもしれませんが。
だって、口を悪く言うとすれば、小役人が我々一般人が訴えればほぼ要求は通りにくく、うえから「この公園のここにはブランコがあるといいね」というたとえを鵜呑みにし、しかも超デラックスハイパーブランコを設置するようなもの。これがひどいと、社会保険庁や農水省みたいになるのでしょうか。
模擬例として、目の不自由なチャレンジドの女性が裁判員に選ばれて法廷で審理に加わったものの、手渡された資料が点字ではありませんでした。彼女は情報は実際にその内容を話す弁護士や検察官、被告原告の証言のみということになり、「紙に書いてあったこと全てを述べているのか、大事なところが抜け落ちていたのではないかと不安でならない。」という感想を述べられていました。
一方で耳の不自由なチャレンジドの方もまた、用意された手話通訳が一人しかいなかったり、2人いても内容に追いつけない。また話す内容はわかっても、泣きながらなのか怒りながらなのか淡々とした口調なのかの感情が分かりづらいという意見が出ました。
オイラのような車椅子が、裁判所に言って例えば傍聴したいとか言っても入口にスロープすらないところもあったり、まして裁く側の席に、よもや廻るということは今までなかったわけで、その向こう側のバリアフリー対策(車椅子トイレなど)がきちんとなされているかということも、オイラなら不安ですね。