夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

新元号は2019年らしいので、勝手に考えた

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 今日は真冬日になりそうで、吹雪いたりやんだりの繰り返し。今週から来週初めにかけ続くらしく、週末自宅に戻るのですが寒いだろうなぁ。
 なんかね、四十九日終わった途端家が寒いんですわ。今後住むなら考えないとなぁ。

 さて「平成」も区切りの三十年で終わるみたいですね。
 準備段階として平成三十年の六月前後には新元号が発表されるとか。
 そもそも日本の元号とは…
日本書紀』によれば、大化の改新645年)の時に「大化」が用いられたのが最初であるとされる。以後、7世紀中後期には断続的に元号が用いられたことが『日本書紀』には書かれている。しかし、当時使われた木簡の分析によると、元号の使用は確認されていない。まだ7世紀後半は、元号よりも干支の使用が主流だったようである。文武天皇5年(701年)に「大宝」と建元し、以降継続的に元号が用いられることとなった。
南北朝時代には、持明院統北朝)、大覚寺統南朝)が独自に元号を制定したため、1331年から1392年まで2つの元号が並存した[2]建武元年、同2年は、南北共通)。
室町時代には、朝廷元号を定めた新元号を将軍が「吉書始」と呼ばれる儀式で改元を宣言して武家の間で使用されるようになった。そのため元号選定には武家の影響力は強いものとあった。特に足利3代将軍義満以降改元幕府の影響が強まるが、一方で京都の幕府と対立した鎌倉府改元を認めずに反抗するという事態も生じた。また応仁の乱などで朝廷と幕府が乱れると朝廷による改元と幕府の「吉書始」の間が開くようになり、新元号と旧元号が使用される混乱も見られた。
江戸時代に入ると幕府によって出された禁中並公家諸法度第8条により「漢朝年号の内、吉例を以て相定むべし。但し重ねて習礼相熟むにおいては、本朝先規の作法たるべき事(中国の元号の中から良いものを選べ。ただし、今後習礼を重ねて相熟むようになれば、日本の先例によるべきである)」とされ、徳川幕府元号決定に介入することになった。
戊辰戦争前(慶応以前)には、天皇の交代時以外にも随意に改元していた。しかし、戊辰戦争の結果として全国政府の座を奪取した明治政府は、明治改元した時に一世一元の詔を発布し、明治以後は、新天皇の即位時に改元する一世一元の制に変更された。これにより、辛酉改元甲子改元も廃止された。さらに、1872年(明治5年)には、西洋に合わせて太陽暦グレゴリオ暦)へと移行することになり、「旧暦太陰太陽暦)に代わるとして永久にこれを採用する」との太政官布告により採用された[3](詳細は「グレゴリオ暦#日本におけるグレゴリオ暦導入」を参照)。それに伴い、元号や干支、神武天皇即位紀元皇紀、神武暦)[注 2]に加えて、キリスト紀元(西暦、西紀)の使用も始まったが、第二次世界大戦時には西暦はむしろ敵性語扱いされた節もあった。その後、太陽暦に移行しても、1910年代までは旧来の太陰太陽暦天保暦)での暦が併記されていたように、年数を数えるにおいて民衆には浸透しづらかった側面もある。
第二次世界大戦後に、日本国憲法制定に伴う皇室典範の改正をもって、元号の法的根拠は消失した。しかし、官民関わらず「昭和」の元号が使用され続けた。だが、第二次世界大戦終結の翌年に当たる1946年(昭和21年)1月には、尾崎行雄衆議院議長改元の意見書を提出した。この意見書において、尾崎は、第二次世界大戦で敗れた1945年(昭和20年)限りで「昭和」の元号を廃止して、1946年(昭和21年)をもって「新日本」の元年として、1946年(昭和21年)以後は無限の「新日本N年」の表記を用いるべきだと主張した。これに対して、石橋湛山は、『東洋経済新報1946年(昭和21年)1月12日号のコラム「顕正義」において、元号の廃止と西暦の使用を主張した。1950年2月下旬になると、参議院元号の廃止が議題に上がった。ここで東京大学教授の坂本太郎は、元号の使用は「独立国の象徴」であり、「西暦の何世紀というような機械的な時代の区画などよりは、遙かに意義の深いものを持って」いる上、更に「大化の改新であるとか建武中興であるとか明治維新」という名称をなし、「日本歴史、日本文化と緊密に結合し」ていることは今後も同様であるため、便利な元号を「廃止する必要は全然認められない」一方で「存続しなければならん意義が沢山に存在する」と熱弁をふるった[4]
しかし、1950年(昭和25年)6月に朝鮮戦争が勃発すると、元号の議題は棚上げされた。以来、元号の廃止や新たな元号に関する議論は低調にとどまり、現在に至るまで元号と西暦の双方が使用され続けている。一方で、皇紀に関しては(文化的な場での使用を除き)公文書でも使用されなくなった。
その後論争を経て1979年(昭和54年)に元号法が制定された。これは昭和天皇の高齢化と、世論調査で国民の87.5%が元号を使用している実態(1976年当時)[5]に鑑みたものである。元号法では「元号皇位の継承があった場合に限り改める」と定められ、一世一元の制が維持された。ここで再び元号の法的根拠が生まれ、現在に至っている。

 で、ずーーーーーっとみていくと、「天」という文字が入っているものが多い。

 Twitterでは「漢字二文字かつ過去に使われていないもの」として、
白鵬」「鶴竜」「魁聖」「楽天」「巨人」「張本」「野村」「南海」「大毎」「王子」「魁傑」「柏戸」「大鵬」「琴風」「阪急」「福本」「箕島」「松井」「古田」「長嶋」「近鉄と、あり得ない名前がアチャー(ノ∀^) あちゃー
 まさか上のイラストのようなことはないでしょうし、わがちゃめの本名も二文字。まさか・・・!!