夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

あの時はけがをしていた、29年前の夏

けさは台風から変わった低気圧のせいか、機嫌悪くて行楽地でぐずっている子供のような天気に。
 きのうのマツコ・デラックスの番組「月曜から夜更かし」よろしく、山形も年々海水浴とか、しいて言うとスキーヤーも減少気味に。
 アウトドアよりもインドア。今年は特に「くらげの水族館」に、どやどやくるくる。んで

我が家の前にごみを捨てるなや!!(#`皿´)<怒怒怒怒怒怒!!!

 ったぐ。
 あの海の家で、怪しげな音楽を流しながら、赤銅色をした素肌。頭にタオルを巻いた短パンのアンちゃんが、黙々と焼いている焼きそばや、おばちゃんの汗も入っていそうな中華そばを、砂でざらざらしている上がり座敷で食べ、水着のやや横っ腹のぽてーっとしたお姉さんのを眺める夏は、今の時点では天候的に拝めそうにない。

 あの「日航ジャンボ機墜落事故」から29年ですかぁ。おいらはあの夏、学校の行事で股関節を折り、治療しながら学校にベットがらみ通える上山療育訓練センターに半年間入所していて、淡い夏の思い出も何もなく、診療部長は子作り名人で、すでに任目を作ったとかで話題になり、主治医は「牽引で痛いのを我慢するか、ギプス固定でかゆいのガマンするか10分で決めろ」という怖い先生でなすがままにギプスをお腹でまいて動けず、落書きを書き、面会に来た母親にわがまま言っていた気もする。
 
 とにかくレントゲンで動かしながら撮影し、位置を決めて固定が、当時女性の技師さんが休みで、

「あのやろこういう肝心な時に休みやがって、給料泥棒もいいところだよあいつは」

と暴言吐くし。(後で聞くと、水曜日はいつも定期休暇らしい)

 そんななか、彼女ちゃめと会ったのがこの年で、この年に生まれた職員がいまのちゃめの担当というのも不思議。

 日航機事故は当時、ちゃめたち子どもが夏休みの帰省で小児科がいないからと、大人の病棟にいた時、当然NHK7時のニュースを「見せられていて」、ぼーっと見ていたら脇のディレクターがなんか騒がしく、最後に松平アナが「日航のジャンボ機が、レーダーから消えた」という一報で終わったのは記憶にある。

 その後、山形はTBSがないからベストテンではなく、トップテンが主流で、月曜日なので8時から何とか見せてもらったら、たびたび中断してニュースが。(この時日本テレビは、墜落場所を誤って伝えていると、後からユーチューブで見ました)
 
 おいらは当時からニュースを後追い視聴が好きだったのですが入院なので消灯で見れず、たまたま去年、動画でNHK木村太郎さんがメイン、報道センターから若き池上さんが伝えていましたな。

 明石家さんまさんや、逸見さんも実は乗る予定だったこの便。さんまさんはスケジュールが早く終わって違う便に、逸見さんは奥様が飛行機嫌いで新幹線で帰って難を逃れたものの、坂本九さんが本当に空に消えてしまった。

 あの時は暑い夏だった。というか、思い出に残る四季は、暑いか寒いかだよねぇ。