夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

苦節二十年にカウントスリー

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(c)スポーツナビ

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団体を渡り歩いた苦節二十年。レットシューズ海野

 プロレスのレフェリーというものは、ある意味特殊な職業です。レフェリーをする傍ら、時には売店で売り子。時には選手バスの運転。時にはリングの組み立てもする人も。
 かの有名なジョー樋口は(現・ノアGHC委員長・相談役)、何十年というレフェリングから、左右の拳の大きさが違うという。
 そのジョーさんでさえ、脚光を浴びたのは晩年。そんな中、いくつもの団体を渡り歩き、現在新日本で審判部長をおおせつかった海野宏之(レットシューズ海野)氏が、26日に後楽園ホールで「20周年記念興行」が行われ、初代と4代目タイガーマスクや、一緒にともにしてきた天龍らが祝いの試合を行いました。

 84年に全日本に入団。88年にレフェリーデビュー。その後天龍とともにSWS(金満プロレスとうたわれた、メガネスーパーがスポンサーだった団体)・WARと渡り歩き、大仁田が新日本で世にはばかっているときから同リングに上がり、タイガー服部の退団後にメインに昇格し、去年から審判部長になっている。

 普段は転がされたり投げられたり、先日の天山vs飯塚のランバーチャックマッチ(セコンドが、リングから落ちたレスラーをリングに強引に戻す。その際、助太刀の攻撃を認めるというもの)では、椅子攻撃でわき腹を負傷したり、はたまた2002年には、女子レスラー兼マネージャーだったWCWのジョニーローラに投げられた際に肩を脱臼と、かつてのジョー樋口以上に踏んだり蹴ったりでしたが(よくレスラーとぶつかって失神がお約束名どころ)、だけからも愛されたレフェリーということでしょうか、後楽園ホールは2000人の満員に。
 サプライズとして、あのノアのんかつての同僚、仲田龍リングアナからのメッセージ(後ろで三沢がちょろちょろあり?)もあり、暖かい大会となったようですな。
 ちなみにやはり元先輩の和田京平(全日本)レフェリーは、「海野には負けねぇ」と、何かで冗談をいってましたね。
 たまにあの「ギブアップ」の動きがオーバーすぎて鼻につくこともありますが、好きなレフェリーですよ。
 その名前の由来、「レットシューズ」の元祖、「レットシューズ・ドーガン」も、かつては新日本でレフェリーしていました。
 やはり赤い靴を履いてフォールの際は「ぽーん」と、体を飛び越えてカウントを取る、名レフェリーでした。89歳で亡くなっていますが、生前彼のレフェリングを、かろうじて見たことはあります。

 これからも、真壁と遣り合ってくださいな。(^^;)