上のイラストを描いて思ったが、平成は「新
規開局ラッシュ」だった。これは、常和40年代、当時の田中角栄が郵政大臣時代に「UHF周波帯」を開放して以来という。 山形では「FM山形(JFN系)」にコミニュティFMが5つ。テレビは山形のドン、服部の弱体化で地元新聞グループの妨害も減り、「テレビユー山形(TBS)」と、「さくらんぼテレビ(フジ)」が開局した。ただ後発局二つとも、老舗局が強すぎて経営難になっている。
とくにさくらんぼテレビは、あれだけ待ちに待ったフジテレビで、開局当初は「めちゃ2イケ」までロケに来たぐらいなのに、「ブラック」なのかいまやアナウンサーの出入りが激しい。実は開局当初いたアナウンサーに、お母さんがちゃめちゃんの国語の先生がいた。
さくらんぼテレビは、天童・蔵王の温泉組合などで「フジがみられないなら」と、予約キャンセルまであったため、署名活動が起こってできた経緯がある。
その開局ラッシュも、「地デジ」になってから、景気とくにマスコミの景気が悪くなってテレビの新規開局はなくなった。(BS、CSは増えている)
テレビ東京が、「プロ野球取材に支障をきたす」として、宮城、静岡、広島に開局させたいということを一度は立ち上げてもとん挫し、沖縄もかつて「南西放送」という日テレ系列が寸前まで行って断念している。
今やネットに押されているし、スカパーも、「DAZN」なんていうのに放映権利取られているし、ラジオはとくに厳しいし。令和時代はネットオンリーんかなぁ。