夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

いまさらながら、山形は「笑っていいとも!」は、過去に最終回になっていた

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 昨日の真夏日寸前で、通院先の病院で「いろぱす」をガンガン飲んでいたのとは打って変わり、今日は雨が降り出しそうな雲ゆき。田上・・・もとい。田植えも周りは8割方終わりました。25日の天神祭とかに合わせるためですね。
 
 ということで、ほんとうは今日載せる予定のブログを後日載せ、ブログで小瀬らになっているギドラさまの昨日の書き込みにヒントをえまして、'''「マスコミおたくの虫」が騒いだので、

山形は、「いいとも」も「ごっつええ」も、2度最終回があったのよ

を、お送りする。

 簡単に事情を言うと、こういうことになる。

 本来はNET(現在のテレビ朝日)系列で開局する予定だったが、株主と経営者の間で意見が対立。収拾に乗り出した山形新聞グループのドンである服部天皇こと・服部敬雄のツルの一声でフジテレビ系列として開局する。(服部はフジテレビの鹿内会長と懇意だった)
株主に朝日系列が多かったからか、開局後も朝日系列との関係を模索し、1975年にNETテレビ系列とのクロスネットとなったが、5年で解消し、フジテレビ系列単独に戻った。
フジテレビ系列時代は、山形放送からあぶれた日本テレビ系の番組を放送していたこともあった。

発生
 バブル期にテレビユー山形FM山形が開局。これに危機感を持ち、バブル期に「ハリウッド映画製作投資」・「避妊薬、ダイエット食品開発のバイオ科学研究所設立」次々と新事業に手を出すが、ことごとく失敗をして債務が膨らむ。1991年に服部が死去して足かせが取れたのと同時にテレビ朝日側が、債務を肩代わりをして山形テレビを助けた。この代償として、1993年には株主側の念願であったテレビ朝日系列単独ネットへネットチェンジする。
このネットチェンジは、あまりにも一方的だったためにフジテレビが激怒したことで知られる。
1993年3月31日のテレビの新聞欄には、フジの番組にすべて「(終)」マークが表記された。これが県民からの怒りを買うこととなった。
 ネットチェンジの行われた1993年当時のフジテレビは人気番組を多数抱えていたのに対し、テレビ朝日は人気番組ほぼ皆無の氷河期であった事も県民の怒りを増幅させた要因であった。フジテレビ系の番組は大半がTBS系のテレビユー山形に移動。山形県民では区域外再送信目当てでケーブルテレビの加入者が増え、県内の電気店は隣県のフジテレビ系列局である仙台放送秋田テレビ新潟総合テレビを受信できるようにアンテナやブースターの設置に奔走したと言われる。
 フジテレビ側も山形テレビに対しての報復措置として1997年にさくらんぼテレビを開局させる。(上山・蔵王・天童のホテル業者などを中心に、署名運動が上がったといわれる。)
 山形テレビ時代にネットされ、他局に移動することなく打ち切られ、さくらんぼテレビ開局とともにネットが再開された後に終了した「笑っていいとも!」「ダウンタウンのごっつええ感じ」などは山形県のみ2回最終回を迎えた番組として知られる。
 今でも山形テレビ制作の番組への地元のスポンサー集めもこの影響で苦労している。

 ※この引用したサイトの資料もやや間違っていたので、こちらで直しています。

 さくらんぼテレビは、高知さんさんテレビと同時に開局したものの、当時中継所が少なく、デジタル化になるまで入らない地域がありました。
 まぁ、CMに関しては、ただでさえ少ない経営基盤に、4つのテレビ局が奪い合いという形式ですな。

 当時古舘さんと加山雄三さんの司会「MJ」という音楽番組が生放送で、

山形では明日からこの番組を含めて、フジがみられません!!

というFAXが、山のように来ていたのを覚えています。
 その古舘さんが、テレビ朝日に今いますからねぇ。(;´Д`A ```

 ちなみに、ギドラさんが書き込みしていたワールドプロレスリングが、TBS系列のテレビ高知から四国放送に移ったのは、TBSが単一ネットに全国の加盟局に通達したためでしょう。
 このことは最後の青森放送が時差放送していた「いいとも」が終わり、「Nスタ」に全部変えたところでようやく完成したようですが、なんかテレビ高知も・・・
ネットがJNNに決まった経緯

元々当社はフジテレビ系列での開局を予定し準備を進めていたが、開局間際にTBS系列へ切り替えた(後に、フジテレビ系列は高知さんさんテレビが開局した)。
 理由は諸説あるが、当時全国的にTBS系列の番組が高視聴率を上げていたにも拘わらず、先発局の高知放送がNNNに加盟したためTBSの系列局がなかったことや、またテレビ高知関西テレビを中心に開局準備を進めてきたが、関西テレビサイドが経営の主導まで掌握しようとしたため、自衛面からフジ系を降りたこと、当時のFNNの右傾的・保守的とされた報道姿勢に難色を示したこと、フジサンケイグループの代表者・鹿内信隆の経営手法への反発などが挙げられる。
 当時はテレビ局はうまみがあったわけで…

 お昼に突然いいともが消えたあの日は忘れません。