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思い起こしてチャレンジど!
いつもコメントをいただいているたかひこさんのブログで、思い出のチャレンジドの方(当ブログで言う利用者)のことを書いていました。バトンではないのですが、おいらも一人書いてみます。
そいつは幼馴染で健太郎(亀井・・・もとい、仮名)といって、先天性の皮膚の疾患で、何100万人に一人の確率で発病するらしく、ぶつけたり圧迫されるとすぐに水ぶくれになり、それこそ夏でも冬でも軟膏をガーゼにぬって当て、包帯ぐるぐる巻きで、暑がりな上に夏に半そでを着ていても、気休め程度で包帯で暑くて汗が吹き出るやつでした。本格的に治療するには、当時米国から輸入した、高くてものすごい副作用のあるお薬を使わなければならず、それを克服するためには、何万カロリーの食事が必要とか聞きました。
体だけでなく、私生活でも健太郎は大変でした。実の母は幼いころ死別(蒸発?)し、後をおかずに父親が再婚したため、新しい母親になじめず、土日の外泊でその母親が来ると泣き叫んで嫌がっていたものでした。結局、後々高校のころに離婚し、健太郎は実姉と別れ別れになって自分は母親に引き取られました。が、父親も程なくしてなくなり、母親もうつにかかって、そんな母を見るのが忍びないと友人に漏らしていたと聞きました。
そいつのいいところはとにかく明るく、大の巨人ファンで野球とサッカーが好きで、スケベで(^^;)。看護学生のスカートをめくったり、高校卒業後は入退院を繰り返しながら水彩画を書いていて、何度かテレビでも取り上げられ、そのたび「なんか猫かぶってる」と見ていると案の定、看護師さんとかに「ヌード描いてやる」とか言っていたらしい。(;´Д`)でもよく行司の仕事は、おいらの担当を引き継いでくれましたっけ。
手術して離れたものの、手の指はほとんど固まっていたため、手にバンドを巻き、そこに筆を指して書いていました。夏は暑いので、何とかスケジュール立てて、涼しいときにでも食事しようと約束していましたが、なかなか実現しませんでした。
皮膚ががんになっていたのは聞いていました。まだ若いので立ち直るとおもったのですが、逆に進行が早く、昨年暮れに亡くなりました。
あいつは目がすごく澄んでいて、笑うと鼻水たらして止まらなくなるぐらいでした。高校のころはうちのちゃめと一緒にいたらしく、とてもかわいがってもらったそうです。