夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

今年も、この日が・・・

今年も鎮魂の祈りをささげる1.17AM5:36~寝ていたな・・・

あの日、確かになんでもない日が始まっていた・・・

 あの日はおいらは今の施設のあきまちで、以前もお話した某病院の、これまた空きがなくて20代そこそこで小児科に入院していた。朝、起床時間に、やれアニメのテーマだ、あんだと大音量でならすクセのあるばばぁ看護師に頭にきつつ、喘息の子供らの朝のマラソンを見送ろうと起きて枕もとのテレビをつけたら、大変なことになっていた。というか、その時点までは、普通の地震速報の形で放送していたし、局によっては、きちんと早朝アニメを放送した所もあったと聞く。(今のように早朝情報番組は6:30開始がほとんどで盛んではなく、NHKの一人勝ち状態。)7時を過ぎてから、にわかにただ事ではないということは、眠たさが抜けたと同時に、ことの重大さがよく分かってきました。みょーに福島弓子氏(イチローの妻)が印象に残ったような・・・あっ、その番組を見ていたからですな。

 その後は周りは学校でいなくなったのをいいことに、暇なことも手伝ってとにかくあちこち見たり聞いたりしていましたな。ワープロで自前の新聞を号外という形で作ったり(当時色んなものをワープロで打って、キータッチを覚えて行った)、大相撲がその日は何もなく、確か結果もいわなかった気がするし、こんなに大きなゆれでも、甲子園球場はほぼ無事だったり。

 んでも、障害者、特に耳や目の不自由な方にうまく情報が伝わってこないという課題はこのころからあった気がしますし、私自身この震災報道で初めて気がついた点でもあります。復興したとはいえ、力の弱いお年寄りや障害者か、半ば今でも心が焼け出されたままになっているのではないでしょうか。

 あの日から数え、亡くなられた人は今年十三回忌。あの時に避難先の病院で生まれた赤ちゃんは中学生。「がんばろう神戸」と呼びかけたイチローはシアトル、仰木彬さんは鬼門に入られ・・・今日一日、神戸やその周辺は、深い鎮魂の祈りになっている。

 日本人は過去を振り返りやすい人種という人もいる。いいじゃん。前向きでも、たまに前に進むのが疲れて、振り向いてみても。