夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

9条よりも、マナー守れよ

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 明日以降施設盆休み。通所は来る方は来るし、私はとりあえず月曜日までお休み。ちゃめは水曜日まで(水曜は二人ともワックスがけで入れないため休み)。
 おいらはお盆が終わったものの、ちゃめは明日以降里帰り。

 その間にこのパソコン持って帰ろうか考えたものの、ブログは単発でスマホでもできるし、持って行っても机が散らかっていたり、開いてしまうのが面倒だし辞めた。

 しかしやたら安倍政権打倒とかやっているデモ、先日の広島に続き、長崎でもお構いなしにやらかしたらしい。
原爆投下から72年。長崎市は9日、犠牲者への鎮魂の祈りに包まれた。だが、平和祈念式典の会場近くでは、「政権打倒」など無関係な主張を大声で繰り返す集団がいた。慰霊の静けさを打ち破る非常識な行動に、多くの被爆者や遺族は、冷ややかな目を向けた。(中村雅和)

 長崎市主催の式典は、平和公園(同市松山町)で営まれた。雨模様の中、午前9時ごろから、多くの市民が集まった。公園入り口で、一人の中年男性が、笛を吹き鳴らして歩いていた。安倍政権をナチス・ドイツになぞらえて批判するプラカードを掲げる。参列者が眉をひそめても、意に介さない。

 たまりかねた警察官や市職員が、立ち去るように促す。男性は、道を挟んだ爆心地公園に移った。「原爆落下中心碑」があり、そこにも慰霊で多くの人が訪れていた。だが、男性の行動は変わらなかった。埼玉県から小学生を引率して訪れたという団体職員、向井良和氏(37)は「私も今の政権には疑問を持っています。それでも、あんな姿は子供に見せられない」とあきれ顔で語った。爆心地公園には他にも、目を覆いたくなるような光景が広がっていた。

 「8・9長崎反戦闘争実行委員会」を名乗る団体が、集会を催していた。30人ほどがいた。

 「日本帝国主義がアジア各国を侵略したことを踏まえ、どのような立場で、戦いを作っていくのかが問われている」

 こんな発言で集会は始まった。午前10時ごろだった。近くには「安倍の式典参加弾劾!」「川内玄海再稼働反対!」「辺野古新基地反対」と書かれた旗や横断幕が並ぶ。集会では原爆投下や無差別空襲について「日本帝国主義のアジア侵略戦争の結果だ」と断じた。日本政府の核兵器禁止条約への不参加を批判しながら、北朝鮮による核開発には一切、言及しなかった。

 主催者の男性に、北朝鮮について尋ねると「もちろん問題だと思っている。しかし、まずは国内の核問題だ。アメリカの核の傘の下にある現状を変革することが優先だ」とだけ答え、足早に立ち去った。

 静けさを乱す行動は、午前10時35分に平和祈念式典が始まると、一層エスカレートした。安倍晋三首相ら関係者による献花が始まった同50分過ぎ、式典会場にデモ行進の声がかすかに響いた。

 30人ほどのデモ隊だった。警察庁中核派系と認定する「NAZEN」(すべての原発いますぐなくそう!全国会議)の旗もあった。平和公園に面する道を歩きながら、「9条を守ろう」「安倍を倒せ」など幟旗を手に、気勢を上げた。式典で安倍首相は「原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます」と語った。

 一方、集団は「安倍は出ていけ!」と、シュプレヒコールを繰り返した。会場外のモニターで、式典の様子を見つめていた北九州市戸畑区の無職、武藤良雄氏(64)は「親族が原爆で亡くなりました。こんな時にさえ静かにできない連中が、何を訴えても信用する気にならない。自己満足で、人の心に土足で踏み込んでいるようなものだ」と憤った。

 2歳の時に被爆したという長崎市の無職、和田要氏(74)は会場外の騒ぎに「毎年のことで、何とも思わない」と切り捨てた。「長崎を最後の被爆地にという言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します」。田上富久市長が訴えると、会場は大きな拍手に包まれた。対照的に会場外の騒がしい訴えが、共感と支持を得ることはないだろう。

 9条守る前に、マナーと節度守れよ。
 平和の祭典だぞ。長崎は被爆して亡くなった人が、どれほど熱い思いをしたかという意味で、「献花」ではなく「献水」で水をささげる。
 次は武道館なのか?安倍政権が変わっても、この集団はこんなことをするのか。

 なんだろ、自己満足とヒーロー化しているような気がして気持ち悪い。こんな人たちとは距離を置いて、平和を考えたい。