夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

討ち入りの日と言えば…

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 昨日は赤穂浪士討ち入りの日。正式にはきょう未明に突入し、明け方に終わるという、まるで臨時国会のような状態。

 いろんな人が蔵之助をやり、いろんな人が吉良をやった。クレヨンしんちゃんもやったなぁ。たけしもやったし。

 昔歌舞伎の「仮手本忠臣蔵」を「仮ならば本編はどこに」勘違いをしたことありますな。
 以前も書いたかもしれないが、吉良の嫁が山形県米沢藩主出身な関係で、明治時代まで演目で忠臣蔵は上映や上演が禁止で、そのご吉良と大石内が仲良くなって踊るとかハチャメチャな演目だったとか。

 討ち入りの日で思い出すのがうちの母親。
 その年の夏から、患っていた間質性肺炎から血行障害で膠原病を発症し(高原病とこれも勘違いして、山に連れて行けば治るものと思っていたりして)、左手の人差し指と薬指の先、中指の真ん中、右手の人差し指の先を切断せざるを得なくなったのですが、なかなか病室が開かず、ようやく入院して手術したのがこの日。「俺が吉良になった心境だった」とよく言っていました。

 その後傷口がMRSAに感染し隔離されたのですがこれも満床で、寝たきりの男性と相部屋に。何が悲しくてカーテン一枚隔てた部屋で見知らぬ男と枕ならぺなーあかんのかと。
 この男性がまーやかましい。
 とにかく傷口なんかが痛いらしく、「いてーなーコノヤロー!看護師コイやぁ!」と、高田延彦かと思うような叫び声を昼夜問わず放ち、面会に来た我々には「あともう帰れ!」と。たまに来る奥さんがただただ恐縮して謝り、砂糖とか置いて行ったりと。

 ようやく感染症が収まり、年末帰宅前に父親が指の処置の効き方を聞いたのに、結局日中どうしても黙っていない母だったので水仕事をしてガーゼを濡らしては、おいらがよく処置していました。今でもあのやり方は覚えてますな。

 その3年後に雪の中倒れてなくなってから18年。早いなぁ。

 さて、明日は来週に迫った父親の四十九日法要準備やらでちゃめと帰宅。
 毎週帰っていたころには薄れていてた、帰宅できる喜びを味わいたいが、寒いなぁ。