夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

夜だるまスポーツ

やっぱりこのやり方はだめだわ。

楽天三木谷浩史オーナー(50)がスポーツ報知の単独インタビューに応じ、1軍打撃コーチだった田代富雄氏(61)がシーズン途中で辞任し、「フロントの現場介入」が取りざたされている問題について、初めて口を開いた。「現場介入というより、フロントと現場の一体化」と、今季から試行錯誤している球団方針を明かした上で、シーズン終盤に向け、大久保博元監督(48)の「現場マネジメント能力」に期待し、「それを成績に昇華できるか」と要望した。(取材・構成=酒井 隆之)


 田代コーチの辞任でフロントの“現場介入”がクローズアップされたが、三木谷オーナーは、それを否定しなかった。

 「介入というか、フロントと現場の一体化、協調ですね。一昨年は星野監督のカリスマ性と田中、マギーの活躍で劇的な日本一になった。主力が抜けて昨年は最下位になった。今年は抜本的な球団の改革の年にしたいんです。組織的なマネジメントとして、フロントと現場が一体となってコンシステンシー(一貫性)のある野球のスタイルを構築しようと」

 三木谷氏は、新規参入元年の本紙インタビュー(2005年1月1日付)でも、「現場介入しまくり、です」と発言している。

 「球界の慣習では、これまでの監督は『現場はオレが仕切る』という感じだった。大久保監督は本質的な地頭が相当いい人で、“球界の非常識”に取り組むというフロントの考えを柔軟に受け入れる姿勢がある。それで監督に起用したんですから」

 だが、田代コーチにはそれが伝わらなかった。

 「プライドがあったんでしょうね。大久保監督も『オーナーが言ってるから』と水戸黄門の印籠のように伝えてしまっていたところがあったと思う。若いコーチは分かってくれているので、ジェネレーションギャップはあるかもしれない」

 フロントが発案したものとしては、データを活用したトラックマンシステム※の導入、松井裕の抑え起用、伊志嶺の捕手から内外野へのコンバート、超機動力野球など、現場と意見が一致して成功した例も多いと自負する。

 「オープンディスカッションで合意してやっていますから、オーナーの“鶴の一声”で何かが決まることはないですよ。立花社長も大久保監督も私の意見に反対することも多いし、それに強権発動して押し切ることは決してない。まとまらなければ、現場の意見を尊重していますよ」

 12年に就任した立花陽三球団社長(44)とは、田中のメジャー挑戦や大久保監督の昇格について、ぶつかり合った。

 「球界の常識で言うと、フロントが現場に伝えても、なかなか『はい、そうですか』とはならない。だから、オーナーが媒介しなくてはいけない。オーナーというのは常に悪者になるもんですよ。野村監督の契約終了の時もそうでしたけど」

 同じくオーナーを務めるJリーグの神戸では、監督解任劇を繰り返した経験がある。

 「サッカーの場合は解任が普通ですから。解任しない方が『甘すぎる』と怒られたりする。じゃあ極論すると、野球でもここで監督を解任するのか。それは違う。野球はサッカーと違って降格がないし。(神戸の現監督)ネルシーニョは合理的な考え方をする人で、(フロントと)コンセンサス(合意)がとれているので何も言うことがない」と、うれしそうに笑った。

 大久保監督は続投の方向で考えているのか?

 「やってきた野球は間違いではないと思うし、基本的にはそのままでいいかなと思う。これからの成績が重要な判断基準になる。最終的には現場マネジメント能力を成績に昇華できるかでしょう。故障者も帰ってくるし、よくなるんじゃないですか」

 CS進出の可能性も視野に、終盤戦を見守っていく。

 【※】軍事用のレーダー式弾道追尾システムを応用したもので、ボールの初速や回転など極めて詳細な数値を計測。ゴルフなど他競技でも導入され始めている。

 ◇田代コーチの退団劇 楽天は7月30日、1軍打撃コーチだった田代富雄氏(61)の辞任を了承したことを発表した。5連敗を喫した同29日のソフトバンク戦(盛岡)後、球団は同コーチに2軍への配置転換を打診したが、打撃不振の責任を取る形で自ら辞任を申し出た。コーチがシーズン途中に退団するのは極めて異例で、「フロントの現場介入」が退団の一因などと様々な臆測を呼んだ。

 ◆三木谷 浩史(みきたに・ひろし)1965年3月11日、神戸市生まれ。50歳。88年、一橋大卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。93年にハーバード大にてMBA取得。96年にクリムゾングループを設立。97年、エム・ディー・エム(現楽天)設立。04年にJリーグ・ヴィッセル神戸のオーナーに就任して、同年秋には楽天野球団を設立してプロ野球に50年ぶり新規参入した。08年1月に楽天のオーナー職から退き、代表取締役会長。12年8月に会長兼オーナーに再び就任。