イチロー200本編んだ・・・ではなくて、安打とパラリンピック
「200本編んだ」って、イチローがマフラーを夜なべをして編んでもおかしくない気がするオイラ。めでたいというより、もはや神業ですな。何となく年々打てない時期が多くなっている気はしますが、試合数よりも多い200本を打つというのは、やはりすごいですな。一件ホームラン記録よりは地味。だから「単打しか打てない」とか、「チャンスに弱い」とか書かれたり言われることもありますが、それは言わせておけばいい。やはりすごい記録である。
ふと先日、「イチローがバットを置く日はどういうものか」と考えた。たぶんだが、周りから見ると「えっ」と思うときの気がする。単に打てなくなったとか、走れなくなったではない。これはオイラから見てイチローが、自然体であくまでもプレーしているからだろうか。松井秀喜にも言える。努力はしているが、あの巨体で走るのはやはり持って生まれたものだろう。
だからこそ、自分の中で何かがなったときに、決意しそうな気がする。もちろんそうではなく、致命的な怪我かもしれないし病気かもしれない。ただ、オイラとして、あくまでこれからも普通にプレーしたとしての話である。おめでとう。普段マスコミに見せないイチローは、ものすごく澄んだ子どものようなやつなのかも。
パラリンピックも終わった。チャレンジドとはいえ、アスリート。やはり各国と国レベルの差は歴然としていました。私の周りにもアーチェリーや陸上をしている人は居ますが、やはり自費負担。プロ化や、オリンピック強化費なみの補助を検討すべきでしょうか。ただ、新聞がきちんとスポーツ面で取り上げていたこと。NHKや民放で、前回のアテネよりも多く取り上げていたことは評価すべきでしょうか。
感動したのは円盤投げの永井選手(名前違っていたらすまん)。60歳を過ぎてはいますが、元漁師で不意なことからハンデを抱え、奥様と一緒に頑張ってこられ、その恩返しにと銅メダルを獲得したことはすごく感動しました。
感動したのは円盤投げの永井選手(名前違っていたらすまん)。60歳を過ぎてはいますが、元漁師で不意なことからハンデを抱え、奥様と一緒に頑張ってこられ、その恩返しにと銅メダルを獲得したことはすごく感動しました。
その②ご質問にお答え
昨日の投稿後、スリングさん初め、質問や感想をいただきましたので、この紹介を中心に。まず力士の保険については、きちんとはいっています。入門後、こういった保険料、税金を差し引いた額が給料や場所手当として支給されます。怪我をした場合、東京場所は相撲診療所(一般の人も診察してもらえます)を介した病院。地方場所は協会が定めた病院が担当して治療、身体検査などを行います。
双羽黒(以下北尾)についてですが、往年の素行の悪さや態度から見れば、「えっ、まさかぁ(笑)」と思えるでしょうが、実はこれには複線があるのです。
簡単に言うと、確かに一人っ子で甘やかされて育てられ、稽古が厳しいと「田舎に帰らせて~」とよく言っていたという。しかしながら、むしろ親方である先代立浪親方(以下安念山)に問題があったという見方が多いです。
安念山というこの男、現役時代は「立浪四天王」と呼ばれていましたが、まー金には汚く、当時の親方(元羽黒山)長女を嫁に貰って四股名まで告いだもののいまひとつ。親方になってからは、弟子の場所手当てや祝儀をピンハネ。
さらに金のなる木と北尾を大関・横綱に昇進させ、そのたびにご祝儀をやはり猫糞したりしていたため、北尾の日頃の悪態(タクシーや弟子にもマシンガンを打つなど)をいいことに、脱走した際に「弟子やおかみさんを殴った」という理由で波紋にしました。
しかし1987年(昭和62年)12月30日にその双羽黒が優勝経験もないまま金銭問題の縺れや付き人への暴行問題から部屋を逃げ出し、史上初めての廃業処分となると、部屋の運営には暗雲が立ち込めた。双羽黒廃業後、しばらくは関取が部屋からいなくなってしまい、かつての名門部屋はその存在感すらも示せなくなった。尚、この双羽黒の廃業劇の実態が事実上の破門であった事は、安念山自らが認めており、北尾も自らの著書の中で明かしている。他方で、双羽黒騒動を伝える大晦日のニュースのインタビューで、当時の春日野理事長が安念山に対して突き放した発言を残しており、騒動発生の背景として、双羽黒に対する指導方針、あるいは部屋の運営状態など、安念山の側にも何らかの決して小さくない問題点があった事を暗に窺わせるものであったらしい。
その後大翔山(現追手風)や大翔鳳(故人)、智乃花を育てるも、大学相撲出身者ばかりで評判はイマイチ。
その後部屋は大島部屋の旭豊を現役半ばで娘と結婚させ部屋を譲るも、結婚式の祝儀全てを持っていってしまい、残ったのは税金の催促状という始末を起こし、それが原因で養子縁組の解消、離婚となり立浪部屋は移転。その後、親方株の譲渡を巡って旭豊に対して損害賠償請求の民事訴訟を起こし、1審こそ勝訴したが、控訴審ならびに上告審では逆転完全敗訴するなど、「トラブルが絶えない(先代)立浪部屋」という醜態ばかりが引退してなおもますます定着する事となった。
旭豊が立浪部屋を移転させた後に北尾を部屋のアドバイザーに迎えた際、この二人を結び付けたのは双羽黒から暴行を受け脱走騒ぎを起こしたと安念山が主張していた双羽黒の元付き人の羽黒海(現在は世話人に就任し、日本相撲協会に在職。日本人だが、外国人のような顔をしている)であったと言われ、双羽黒廃業の際の経緯に関する当時の安念山の主張は大きな疑惑を抱かれる事となった。また、北尾は自らの著書などで、横綱・大関昇進の際の祝儀金の大半を安念山に先取りされてしまい、手元には大した金額も残らなかった事を明らかにしている。同様に、長年にわたり幕下以下力士に対して支給される手当金を着服していた、という疑惑も囁かれている。
このように、双羽黒問題の深層には安念山の人間性や金銭感覚に問題が有り、これが要因となって何らかの金銭トラブルに発展し、結果として双羽黒が廃業に追い込まれたのではないかという疑念が、あらためて取り沙汰されるようにまでなっている。(ウィキペティアより一部抜擢)
簡単に言うと、確かに一人っ子で甘やかされて育てられ、稽古が厳しいと「田舎に帰らせて~」とよく言っていたという。しかしながら、むしろ親方である先代立浪親方(以下安念山)に問題があったという見方が多いです。
安念山というこの男、現役時代は「立浪四天王」と呼ばれていましたが、まー金には汚く、当時の親方(元羽黒山)長女を嫁に貰って四股名まで告いだもののいまひとつ。親方になってからは、弟子の場所手当てや祝儀をピンハネ。
さらに金のなる木と北尾を大関・横綱に昇進させ、そのたびにご祝儀をやはり猫糞したりしていたため、北尾の日頃の悪態(タクシーや弟子にもマシンガンを打つなど)をいいことに、脱走した際に「弟子やおかみさんを殴った」という理由で波紋にしました。
しかし1987年(昭和62年)12月30日にその双羽黒が優勝経験もないまま金銭問題の縺れや付き人への暴行問題から部屋を逃げ出し、史上初めての廃業処分となると、部屋の運営には暗雲が立ち込めた。双羽黒廃業後、しばらくは関取が部屋からいなくなってしまい、かつての名門部屋はその存在感すらも示せなくなった。尚、この双羽黒の廃業劇の実態が事実上の破門であった事は、安念山自らが認めており、北尾も自らの著書の中で明かしている。他方で、双羽黒騒動を伝える大晦日のニュースのインタビューで、当時の春日野理事長が安念山に対して突き放した発言を残しており、騒動発生の背景として、双羽黒に対する指導方針、あるいは部屋の運営状態など、安念山の側にも何らかの決して小さくない問題点があった事を暗に窺わせるものであったらしい。
その後大翔山(現追手風)や大翔鳳(故人)、智乃花を育てるも、大学相撲出身者ばかりで評判はイマイチ。
その後部屋は大島部屋の旭豊を現役半ばで娘と結婚させ部屋を譲るも、結婚式の祝儀全てを持っていってしまい、残ったのは税金の催促状という始末を起こし、それが原因で養子縁組の解消、離婚となり立浪部屋は移転。その後、親方株の譲渡を巡って旭豊に対して損害賠償請求の民事訴訟を起こし、1審こそ勝訴したが、控訴審ならびに上告審では逆転完全敗訴するなど、「トラブルが絶えない(先代)立浪部屋」という醜態ばかりが引退してなおもますます定着する事となった。
旭豊が立浪部屋を移転させた後に北尾を部屋のアドバイザーに迎えた際、この二人を結び付けたのは双羽黒から暴行を受け脱走騒ぎを起こしたと安念山が主張していた双羽黒の元付き人の羽黒海(現在は世話人に就任し、日本相撲協会に在職。日本人だが、外国人のような顔をしている)であったと言われ、双羽黒廃業の際の経緯に関する当時の安念山の主張は大きな疑惑を抱かれる事となった。また、北尾は自らの著書などで、横綱・大関昇進の際の祝儀金の大半を安念山に先取りされてしまい、手元には大した金額も残らなかった事を明らかにしている。同様に、長年にわたり幕下以下力士に対して支給される手当金を着服していた、という疑惑も囁かれている。
このように、双羽黒問題の深層には安念山の人間性や金銭感覚に問題が有り、これが要因となって何らかの金銭トラブルに発展し、結果として双羽黒が廃業に追い込まれたのではないかという疑念が、あらためて取り沙汰されるようにまでなっている。(ウィキペティアより一部抜擢)