現場の苦労と官僚の考えのギャップ
前に、私のヘルパー及びケアマネの問題を書きました。その他にも、事業所によって基準が違うということに疑問を感じていました。今朝の朝日新聞に、その答えが。自治体から、「介護事業所として不適切」と認定を取り消され、介護報酬を返還や取り消されるのを恐れているからというらしい。ほかに、利用者が減ると報酬も減るという、なんか「ポイント稼ぎ」というかそういう仕組みみたいな。おいらがいままで知らなかっただけなのか、他にも理由があるのかはわかりませんが、この基準があいまいなため、われわれ利用者が負担を強いられています。
「同居者で家事のできる人がいる」、「チャレンジドとはいえ、息子さんの世話までさせられる」、「地域の協力があるのに、都合によってゴミだしの介助をさせられる」等。
世話をするヘルパーさんもまた、大多数がパートであり、報酬も低く保険も入れないとか。この辺も長続きしない一つなのでしょうか。
気持ちよい介護=報酬という定義は好きではありませんが、やはり労働者として、最低賃金の引き上げは必要では。また、「介護の例は一つではない」という理解が求められるのですが・・・政界が流動的な昨今ではねぇ(´Д`;)
さて、理解といえば、知的障害をもつ利用者のかたがたがおられます。われわれと違い、見た目で判断の難しい方や、幼いように見えたりちょっと突出している風に見られるかもしれません。
しかし、彼らはものすごい個性を持ち、それをうまくこう、なんというか指導というかそそのかす・・・でないな。うまく切っ掛けを教えてあげると、ものすごい才能を発揮したりします。仕事に一生懸命だったり、われわれの思いつかない芸術性高い作品を作ったり。以前NHKでも取り上げていて、健常者と一緒に作品を作り、普通に展覧会に出品し、何も審査員に言わずに審査させ、受賞した作品が実は・・・というぐらい素晴らしいものです。
しかし、彼らはものすごい個性を持ち、それをうまくこう、なんというか指導というかそそのかす・・・でないな。うまく切っ掛けを教えてあげると、ものすごい才能を発揮したりします。仕事に一生懸命だったり、われわれの思いつかない芸術性高い作品を作ったり。以前NHKでも取り上げていて、健常者と一緒に作品を作り、普通に展覧会に出品し、何も審査員に言わずに審査させ、受賞した作品が実は・・・というぐらい素晴らしいものです。
昨日のりょうすけくん同様、無理に理解してもらおう、寄付とか協力してもらおうとしているわけでないんです。少なくともこのブログでは、こういう方もいるということを、忘れないで下さいということ。明日はわが身。自分や家族、親類や友人がということも。