元高見山さんが部屋を起こし、その後受け継いだ元潮丸の先代親方の急逝で、元高見盛が部屋を引き継いで安泰化に見えた東関部屋が大変なんですね。
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葛飾区が活性化のために誘致し、有償で貸した土地の問題や、高見盛さんが部屋の光景に消極的なのが理由らしい。
もともと一門の高砂は小さい。ここは理事長の八角部屋が先頭に立つしかないだろうなぁ。
後々というと、「東日本大震災」から間もなく10年を迎える。これまで数多くのご支援を賜り、厚く御礼を申し上げますな。
震災直後のことはこちらの2018年のブログに書いてある。
muinge.hatenablog.com
テレビをつければ震災後しばらくこれが流れていた。
幸いなことに鶴岡市は新潟から電源を引っ張っていたため停電にならず、さらに断水にも至らなかった。私の家がある地区はこの地震では揺れは長かったが、むしろ3年前の山形沖地震のほうが大きかったぐらいだった。
ただ酒田市など沿岸部が停電が1日以上続いて形態の中継所がやられ、「圏外」のまま2日間続き、「ちゃめのところもだろう」と安易に考えていたらせ私だけで、つながるところまで来たら災害伝言ダイヤルから着信から留守電から50件近く入っていて、気が付けば「夜だるま死亡説」までマジにデマが。
「向こうは大変だ。」ぐらいなのと、ちゃめのいとこが安否がわからない(後日やはり携帯不通だったため)ぐらいだったのが、こっちもじわりじわりと影響が起きて大変なことになろうとは…