ものが当たるとめちゃいたいので皮膚科に。
年度末はよくなんか気持ち的に不安になるので、そのせいかと。
あの年はその後闘病していたじいちゃんが亡くなり、思い出に残る年に。
とにかく物がその後なくなった。大動脈の幹線道路が寸断し、薬は予約は一か月後でも2週間分しか来ず、再度取りに行くのはいいが、各施設とも送迎用リフトバスの燃料が手に入らない。
ちょうど彼岸の連休にちゃめと買い物予定も「物がない。特に食べるものがないからやめろ」というちゃめパパの指示に従い取りやめ。あと後聞いたら、ちゃめが週末ボランティアで近くのスーパーまで来て、家から預かったお金で晩の夕食食材を買って迎えを待っているのですが、買いたいものがないぐらい。
幸いティッシュや洗剤は、おいらは切れるのが不安で、いつも「こんなに要らないでしょ」というぐらい買いだめしておいたのが役に立ちました。
小真木原の国体の時にできた体育館は救援物資の山でした。