きのう診察終わって食堂で飯を食べ、迎えの車が来るまで3時間暇つぶしして帰ってきて、ちゃめと台所で談笑していたらヘルパーさんが来てくれて、手際よく部屋の掃除をしていただき、「よいしょ」を畳に座って、大男が裸に昆布を腹に巻いて、土を盛った競技会場で審判が奇声を発しながら、くんずほぐれつな「国技」というものをテレビで見ていたら、「日産ゴーン会長、金融取引法違反で事情聴取」の一報が。
それから貴景勝が勝ってもお決まりの、なにがおもしろくて人生を生きているのかみたいな顔をしてインタビューを受けようが、ローカルニュースで「老人ホームに新そばのいもん」のニュースだろうが、鈴木奈穂子アナがでてこようが、♪ポロピローン「日産に家宅捜査」、♪ピロポローン「日産、内部資料公表」、♪ぺろぽれーん「間もなく逮捕へ」と矢次に字幕が出て来ていてさあ大変。ドジョウが出てきてこんにちは状態である。
今日になって「内部告発による2例目の司法取引」「社内クーデターか?」か?という記事があるが、おいらはすぐ「社内クーデターだ。はえぬきの、あのミスタービーンと元大洋ポンセに似たゴーンから煮え湯飲まされていた社員が、動かぬ証拠をつかんで一気に攻勢に出た」と読んだ。
日産はかつてドラマ、西部警察の「サファリ」をはじめとした車種から、皇室の車プリンス、タクシー車種や24時間テレビのリフトバス、お風呂カーといった福祉車両、さらに森三中黒沢かずこが愛してやまなかった「マーチ」という素晴らしい車があるのに低迷し、ゴーンをルノーから読んでコストカットに成功したものの、「私の改革は終わった」といった2015年前後には退陣すればよかったものの、腹の中では「日本はうま味のある国だ」と、「グローバル化」という言い訳を作って三菱まで手中に収め、私腹を肥やしていたからたまらない。
山形でもかつてクーデターがあった。
1970年に、当時の田中角栄郵政大臣が「UHF周波帯解放」を宣言し、ほぼ1県1民放から、2局目3局目を開局させていた時、「山形テレビ」も誕生したのだが、申請一本化まとめ役をしていた地元代議士が「系列をNET(現テレビ朝日)に決めるなど私物化しようとしている」とうわさが立ち、これを「調停役」と勝手に名乗り出た地元新聞グループのドンがあっという間に手中に収め、当時旧知の仲だったフジサンケイの鹿内会長と手を組んでフジテレビ系列にした。
ところが少しずつ一日の番組表の中でNETの放送比率が高くなると、テレビ朝日そのものをもともとグループ傘下の山形放送に移してクロスネットにし、はみ出た日テレを山形テレビに組み込ませるという県民無視の「乱」をやったり、いろんなことをやりたい放題してかした。
時は平成も5年が過ぎ、多チャンネル化のために資金調達のために投資したハリウッド映画は制作会社がペーパーカンパニーで売上回収はわずか。バイオ科学研究所を社屋隣に作り、避妊薬やダイエット薬を開発するも最先端過ぎて膨大な赤字になりその建物は「山形テレビ別館」と称した物置になり、「山形新聞社のドン」逝去もあいまって、増資を求めたフジテレビからも「ネット比率を今の8割から増やさないとダメ」と言われ、その足で六本木のテレビ朝日に行って話を付けると、当時酒田市長(山形テレビ当時株主)らと手を組んで、そのまま開局当初の原点であった「テレビ朝日系にネットチェンジ」を行った事例がある。
だから山形は「いいとも」の最終回は2回あったことになる。
話は長くなったが、ゴーンのやり方に少なからず不満を持った一部幹部が、満を喫して覚悟の告発をしたと見たのだが。考え過ぎかなぁ。