夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

声無き市長の戦い

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 鶴岡市内は警報は警報はまだ出ていて風も強いものの、晴れ間も見え、交通規制も解除しつつあります。

 そんな中、本日は皮膚科通院。
 これで年内の通院は終了。この外来のこの場所にあるツリーを見ると、いろんな思い出が駆け巡りますね。
 
 診察が早く終わってしまい、迎えまで1時間以上あったので、食堂に潜ってソフトドリンクを飲んだれば、元カノと同期のナースが、夜勤明けで納豆まんま定食を食べていたので、しばし談笑。

 この病院は高齢者が多く、この冬も肺炎で入院とか多いとか。
 私の主治医も呼吸器内科なので、再び忙しい季節に。

 呼吸器というと、鶴岡市の隣、酒田市の本間市長が喉頭腫瘍」で声を失い、人口声帯でもって仕事をしていることに、市議会から辞任勧告がというとんでもないことに。
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 咽頭腫瘍の手術で声帯を失い、機械を喉元に当てて電子音声で会話している酒田市の本間正巳市長に関し、市議会第3会派「市民の会」は16日の議会運営委員会で、市政への影響が懸念されるなどとし、本間市長の辞職勧告決議案を検討するよう求めた。「声が聞き取りづらい」との論旨で根拠が不明瞭なことから、他会派は同意せず、市議会として提案しないことを確認した。

「市民の会」所属の武田恵子委員が「全国市長会や県との折衝で意思が十分に伝わるのか。市長答弁の趣旨確認や補足説明が必要になる」などと述べ、決議案提出の検討を要望した。これに対し各会派は「今、この問題を取り上げる必要はない」「同意はできない」と回答。後藤仁委員長は「復帰したばかりの市長には粛々と業務をしてほしいとの思い」と総括し、提案を退けた。

 この記事に、ブログでお世話になっている鷹熊一二三さんから、「大変残念だ。3代目長崎・佐世保市長の辻一三さんを見習ってほしい」というご意見を伺った。
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 辻一三(つじ いちぞう、1903年3月14日 - 1989年9月6日)は、昭和期の日本の政治家で、公選3人目の佐世保市長である。同市名誉市民。
 市長就任2年後の1965年、咽頭がんが発見され手術を受けた。この際に声帯も切除せざるを得ず、前例のない「声なき市長」となる。一時は辞任も検討したが、食道発声法を習得して職務復帰を果たした。ベトナム戦争下に於いて、反対派の住民の抗議を押し切り、現地市長として日本初の米原子力潜水艦(シ-ドラゴン)の寄港や1969年の空母エンタープライズ寄港を受け入れた。エンタープライズ入港の際には学生と機動隊が衝突し騒乱、多くの負傷者を出した(佐世保事件、エンプラ事件)。その他、1967年7月水害の復旧、経営危機に陥った佐世保重工業の再建と同所での原子力船むつ改修の受け入れ問題、相次ぐ炭鉱閉山による離職者対策等の市政上での諸問題でも奔走、4期16年を全うして1979年の市長選に出馬せず引退した。

 1973年、勲三等旭日中綬章を受章。また民間人初の米国防総省海軍長官表彰、佐世保市名誉市民、日本対ガン協会賞ほか多数の賞を受けた。評論家・草柳大蔵は、1969年の週刊誌の企画「戦後日本の政治家」で、その1位に辻を挙げた。著書に「ガンに勝ったひとびと」、「沈黙の港」、「私の半世紀」などがある

 一つ言うと、

酒田市議会が最近おかしいんです」

 新しい市役所庁舎建設に関して、今より人口が減るのは目に見えているのに、何チャラ法を用いたとかで

今の2倍の面積の建物を反対もせず可決して建設中

とか、町の中心部にあった旧ジャスコ跡地が、やれホテルだ、商業スペースだと採算度外視して計画してはとん挫し、結局

市ではむりとして、砂利敷いて駐車場\(^O^)/Wai


 もともと前市長で、先日の衆院選挙で2期目で落選した阿部寿一が、酒田をこのようにすっちゃかめっちゃかにして投げ出して衆院選に出馬して当選し、その後釜で市長になり、この処理に追われ、羽越本線の高速化、山形新幹線の酒田まで延長を掲げてやっていた矢先に倒れたんです。

 ただ本間市長にも非がありまして、「喉の不調」ということで当初は短期間入院だとして代理もおかず、その後「手術した。病名と入院先は明かせない」として、ようやく代理は置いたものの、長期化になり不満は募ったのは事実。
 さらに、「休暇中にもかかわらず、給与を満額もらっていた」ことにも今後追求されそうな。

 酒田市は庄内の大企業の利権も絡む自治体だしねぇ。

 それはそうとて、人工声帯の理解が得られないのは誠に残念。かつて皇室の殿下が喉頭がんでやはり人工声帯を使用していたように、すでに認知されていたものと思っていただけに、これは恥ずかしいことだ。
 議員としてもかつて与謝野馨財務大臣も人工声帯ではないが、現在シャントという器具で声を出して、一線は退いたものの活躍されている。
 こんなつまらないことで市議会を混乱させるより、来年度予算案や懸案事項の円滑な可決をすべきではなかろうか。

 人工声帯じゃなくても、「もごもごしゃべっていて何言っているか聞こえない議員さんはいっぱいいますよ」