夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

食うためなら本当は何でもしなければならなかった時代

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 さきほどもかきましたが本日は内科定期通院。
 じつは内科定期通院は本来は月曜日なのですが、火曜日はイレギュラー。なんかすいていたものの、一人ひとりの診察が今日は長かった。
 わが呼吸器内科の主治医は人気で、なかなか予約が取れなかったりする。
 
 これで今月は眼科がないので、定期通院は一応終了のはずが、「歯が昨日欠けて、歯科通いをする羽目に。」

 まぁ、痛みもないのだが、おいらは骨全体が弱い疾患なので、歯も弱い。ひどくならないうちに診てもらう事に。

 通っている歯科はうちの父親が勤めていた歯科医院とは良きライバルで、院長どうし認め合っていた中でした。うちの院長はすでになくなりましたが、こちらの院長は油絵をたしなみ、読書をして過ごしていらっしゃいます。

 わが父親もチャレンジ・ド。ちょうど朝のドラマごちそうさんの時代、子供の頃は骨折ばかりしてあるけず、20歳まではほぼ寝たきりに。本人は手に職をつけたいと、時計屋さんをめざしていましたが、うでにほれ込み、当時歯科技工士を自前で持ちたかった院長が家に通って、親父の枕元でやり方を教え(親父いわく、無理やり覚えさせられた)、当時は資格は覚えれば協会に、登録料金を支払うともらえたとか否とか。

 当時はチャレンジ・ドはなかなか認められていない時代で、「障害者のいる歯科には行きたくない」という差別もあった一方で、院長の母親が気に入ってくれ、毎日ご飯をおよばれするぐらいでした。
 このご飯にはちょっとしたエピソードがあって、今の家を建てる直前に、テレビが壊れ、当時流行った「パナカラー」を買ったところばあちゃんが、

「さとし!(仮名)、こんな大きいテレビ買って、家も建てているのにまんま食べる金あんのか!!」

父「おれまんま食わないもの」

「なんだとぉ!!」

父「おれ、あっち(歯科医院)でまんま食えるからこの家で食わないもの

と、まだ5つのおいらをはさんで大喧嘩。アチャー(ノ∀^)
 次の日には、新しいテレビでおいらとばあちゃんが「大きくていいのぉ」と、うれしそうに大相撲を見ていたとか。

 障害を乗り越え、家庭を持って家を建てた父は超えられないですね。

 就労支援の今の施設のグループは今月一杯。就職が決まったのは半分。おいらも含め半分は生活介護支援に移るもの、そのまま切れて退所して家庭に入るものなどいます。

 食べていくためには本来、食を選ぶという選択はないのかもと、親父を見て思う一方、親父は時計屋を開業していたら、べつの人生もあったのかなぁ。おいらも居なかったかなぁと思っています。