夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

今日は福島。鷹熊一二三様の質問にお答えする、昨日の山形、荘銀・日新スタジアムとは

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 朝早く、東根からわざわざ昨日の観戦した際のお土産を持って面会に。本当にありがとうございました。

 戴いたグッズは、夏祭りに使用させていただくことに。

 今日は福島。あのオレンジユニフォームでの復興祈念試合。天気は持つでしょうか。

 さて昨日の山形、荘銀・日新スタジアムとは、どんな球場かと言うと・・・
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 2005年(平成17年)のシーズンから楽天の二軍が当球場を本拠地として使用しており、楽天主催のイースタン・リーグ公式戦の多くが当球場で開催されている他、パ・リーグ(一軍)公式戦も不定期で開催されている。楽天が二軍の本拠地としてからは、2006年(平成18年)9月30日と2007年(平成19年)9月29日にファーム日本選手権、2008年(平成20年)8月2日にフレッシュオールスターゲームが開催された。

しかし2008年(平成20年)9月29日、楽天は2006年(平成18年)のシーズンから3年間契約で県と交わしていた「本拠地協定」を11月30日の満期以降、自動延長しない方針を明らかにした。この協定では「楽天イースタン公式戦主催試合の半数以上を山形県内で行う」事などが取り決められていたものの、球団創設の2005年(平成17年)以来、山形を二軍本拠地とした4シーズンの間は、同県内での主催1試合あたりの平均観客数は当初目標としていた「1,000人」に及ばなかった。さらに当球場は一軍本拠地の宮城県仙台市から約80km離れており、移動による負担がデメリットになっている。楽天側はこうした問題点を挙げた上で「自動的な契約延長はしない。山形にはこれまで4年間お世話になっており、今後慎重に検討を重ねたい」と話した。

その後協議を経て10月16日、楽天はかねてから二軍本拠地の誘致を進めていた宮城県宮城郡利府町にある利府町中央公園野球場を翌2009年(平成21年)のシーズンから二軍本拠地に追加する方針を決定し、山形県利府町に報告。その後11月17日のプロ野球実行委員会で正式に承認され、当球場は引き続き楽天の二軍本拠地として存続することになった。但し前述の問題などもあって、その後の協議で山形県内での試合開催ペースは月間1カード程度にまで削減され、さらに県内で開催する過半の試合の開催地は同じく準本拠地として使われていた天童市スポーツセンター野球場となった。

2009年(平成21年)のシーズン終了後に改修工事を実施してフィールドの両翼を拡張し、従来の91mから100mとなった。

2013年 (平成25年)には、竣工後30年以上経過し老朽化が進んでいたスコアボードのリニューアルを実施した。

主なエピソード

1987年(昭和62年)に開催された日本ハム対南海戦で、南海・山本和範の打球がライナーで外野フェンスの金網部を直撃し、そのままフェンスをすり抜けてスタンドイン。エンタイトル二塁打となる珍事があった。
1989年(平成元年)5月13日に開催された日本ハム対ロッテ7回戦で、ロッテ先発の村田兆治が完投でプロ通算200勝を達成した。同年の村田は199勝目を挙げてから、当時本拠地だった川崎球場での試合に2度先発したものの、いずれも勝ち投手にはなれなかった。球団は営業面のメリットなどから、本拠地の川崎で且つ集客の見込める週末の試合での達成を期待していたが、その思惑が外れた格好となった。その後半月近くローテーションが開いた後、ようやく山形でのビジター戦で達成した。地方球場での200勝達成は稀少例で球場正面には現在、村田の「マサカリ投法」のフォームをモチーフにした200勝達成記念レリーフが設置されている。
1990年(平成2年)に開催された日本ハムオリックス戦の試合中、照明が突然消灯し試合が一時中断するハプニングが発生した。これは草野球等の一般利用で照明設備を使用する際、タイマー制御によって21時になると照明が自動的に消灯(減光)する設定が組まれていたのを職員がタイマーを解除し忘れたために消灯したもの。
1992年(平成4年)に開催された秋季国民体育大会(べにばな国体)の、高校野球・硬式(公開競技)星稜対尽誠学園戦で、星稜・松井秀喜が第4打席で高校通算60本目となる本塁打を放った。これが松井の高校最終打席。松井は同年オフに4球団からドラフト1位指名され、抽選の末に交渉権を引き当てた巨人に入団した。
1999年(平成11年)7月11日に開催された横浜対ヤクルト戦は、25,000人収容のスタンドに27,000人が入場するという異例の事態となった。入場券の濫発に加え、前日に宮城球場で予定されていた同カードが雨天中止になったこともあいまって、特に外野席は立錐の余地もない混雑を見せた。試合は打ち合いとなり、延長10回、石井琢朗の適時打で横浜が7x-6でサヨナラ勝ちした。
2005年(平成17年)、球団創設後初めて行われた楽天の一軍公式戦(対オリックス戦2試合)は、4月26日が6,053人、翌4月27日も6,362人と動員数が伸び悩んだ。翌2006年(平成18年)はセ・パ交流戦1試合(対横浜戦)が組まれたもののシーズン開幕前に開催取り止めとなり、1985年(昭和60年)から続いていた山形県内での一軍公式戦の開催が遂に途切れた。なお、2007年(平成19年)以降は楽天主催の一軍公式戦の開催は無く、前述の二軍公式戦の開催のみにとどまっている。
2008年(平成20年)7月1日に開催された横浜対広島10回戦は、実に3年ぶりの一軍公式戦となった。地元天童市出身の広島・栗原健太日大山形高卒)は1-2のビハインドで迎えた4回の第2打席で同点9号ソロ本塁打を放つなど4打数3安打1打点。そのまま同点で迎えた7回には同じく天童市出身の横浜・加藤武治(山形南高卒)が登板、先頭で同郷の栗原と対戦し中飛に退けた。しかし一死一塁からシーボルに左越え適時二塁打を浴びて勝ち越しを許し、結局3-2で広島が勝利。栗原はヒーローインタビューで「ただいま!」と笑顔を見せたが、一方で敗戦投手となった加藤は「何とか抑えたかった」と唇を噛んだ。なお、当球場における一軍公式戦はこれが最も直近の開催実績で、2009年オフに両翼拡張などの改修を実施して以降、一軍の公式戦は開催されていない。
2013年(平成25年)には当球場で5年ぶりの一軍公式戦を開催予定。先ず、7月9日に読売ジャイアンツ(巨人)が東京ヤクルトスワローズと対戦。巨人の山形での主催試合は1954年8月7日、山形市野球場で洋松ロビンズを迎えての一戦以来59年ぶりであった。続いて8月20日東北楽天ゴールデンイーグルス北海道日本ハムファイターズと対戦。楽天の当球場での主催試合は8年ぶりとなる。
野球の他にサッカー公式戦での使用例もある。1994年(平成6年)、当時JFLに昇格したばかりのNEC山形サッカー部(現:モンテディオ山形)が公式戦前半戦の数試合を開催した。これは当時山形県内に規定の照度を確保できる照明設備のある球技場や陸上競技場がなく、窮余の策として照明が整っている当球場を使用したもの。ピッチは天然芝が敷設されている外野のフィールドに加え、更に内野やファウルエリアにも芝生を仮に敷設して使用した。6月9日に行われたJFLNEC山形柏レイソル戦は平日にもかかわらず15,835人の観衆を集めた。試合はカレカが前半まででハットトリックをマークし計4得点を挙げるなど、柏が終始圧倒。結局7-0で柏が勝利した。NEC山形は後半の日程も一部の試合で当球場を使用する予定だったが、その後の調整で山形県総合運動公園陸上競技場などに開催地を変更した。

施設概要

グラウンド面積:12,690.8m²
両翼:100m(2009年までは91m)、中堅:120m
内野:クレー舗装、外野:天然芝
照明設備:照明塔6基(最大照度:投捕間2000Lx、内野1500Lx、外野1000Lx。照度可変)
スコアボード:LED式
収容人数:25,000人
常設のフェンス広告は設置されていないが、プロ野球開催の際には横断幕形式の広告が掲出される場合がある。

ちなみに昨日主審を務めた石川審判は日大山形高校出身。一度山形に就職した後に審判になり、昨日が初球審だったそうです。

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