松井秀喜が・・・
本題の前に発表が遅くなり申したが、12月14日ににゅうせき・・・ではなくて、「にほんブログ村」に登録いたしました。今後より一層のご訪問を期待し、へんなものはますますかけなくなったというプレッシャーをちょぴっと感じておりながら今日のお題。
今日はちなみに職場内研修(写真)
今日のスポーツなどで、水面下でヤンキース松井秀喜の巨人復帰を拒否していたというのがありました。
http://sports.yahoo.co.jp/news/20081216-00000028-sanspo-base.html
サンケイスポーツ
ヤンキースの松井秀喜外野手(34)が15日、都内で行われた「ニッポン放送ショウアップナイター2009 Conference」に出席。巨人の原辰徳監督(50)からヤ軍との契約の切れる来季終了後の古巣復帰ラブコールを受けた。だが、背番号55をドラフト1位の大田泰示内野手(18)=東海大相模高=に与えたフロントの対応にへそを曲げたのか、指揮官の願いをはねつけた。
http://sports.yahoo.co.jp/news/20081216-00000028-sanspo-base.html
サンケイスポーツ
ヤンキースの松井秀喜外野手(34)が15日、都内で行われた「ニッポン放送ショウアップナイター2009 Conference」に出席。巨人の原辰徳監督(50)からヤ軍との契約の切れる来季終了後の古巣復帰ラブコールを受けた。だが、背番号55をドラフト1位の大田泰示内野手(18)=東海大相模高=に与えたフロントの対応にへそを曲げたのか、指揮官の願いをはねつけた。
冗談めかした口調も、松井秀の目はマジだった。来季はヤ軍との契約最終年。パーティーの壇上で原監督から「巨人ファンの方も(再来年の巨人復帰の)可能性があるという点では意味のある一年になるでしょう」とラブコールを受けた直後の控室。リップサービスはなかった。
「巨人ファンも戻ってこいなんて思っていないでしょう。55番も別の選手がつけていますし、戻る場所なんてないです」
「巨人ファンも戻ってこいなんて思っていないでしょう。55番も別の選手がつけていますし、戻る場所なんてないです」
巨人復帰を完全否定した。02年にFA宣言、ヤ軍入りしたのだから巨人が背番号55を誰につけさせようと文句を言える立場にはない。正式決定前、関係者を通じて“譲渡”を打診されたが拒否できるわけはなかった。
すでに大田には巨人関係者を通じて「巨人の屋台骨を背負う選手になってください」とメッセージを送っている。だが本心は…。
すでに大田には巨人関係者を通じて「巨人の屋台骨を背負う選手になってください」とメッセージを送っている。だが本心は…。
ゴジラが巨人をチクリ。近い将来、最後の働き場所として巨人に帰ってきたら、日本球界は盛り上がりを見せたに違いない。その夢は消滅した。
これ、太田に「55」をつけたときから「ええっ!」と思っていました。
たしかに、背番号をつける権利は監督にあり、人気、実力はあったものの永久欠番を保障できる要素はない。かりに「引止めを打診した松井がメジャーに行ったのだから」という球団の思惑が、たんにその番号に見合うだけの選手がいなかったから今日まで「空白」だったのか。「松井」というカラーから脱却を模索していたのかなど、思惑は二転三転四方八方月亭可朝であったりもする。
たしかに、背番号をつける権利は監督にあり、人気、実力はあったものの永久欠番を保障できる要素はない。かりに「引止めを打診した松井がメジャーに行ったのだから」という球団の思惑が、たんにその番号に見合うだけの選手がいなかったから今日まで「空白」だったのか。「松井」というカラーから脱却を模索していたのかなど、思惑は二転三転四方八方月亭可朝であったりもする。
が、松井自身からしてみれば、デビューから長嶋さんによって就けていただいた「55」には、相当の愛着があったのは事実であり、今後の保障は自分の身・活躍にかかるメジャーにいる立場として、もどれる(復帰できる)ところは残したかったのは事実だし、ファンも「復帰」は少なからず望んでいたであろう。
「55」をつけられた太田には責任はないし、こういうことはよくある話だ。V9でつけていた背番号が、今アノ選手がつけていてしかも活躍していないとか、そういったものはいくらでもある。しかし、将来に亘って仮に、「原内閣に、松井秀喜コーチ入閣」というシナリオは、少なくとも消えた。
そういえば、評論家の豊田泰光さんが、背番号や道具は大切にしなさいといっていましたね。
そういえば、評論家の豊田泰光さんが、背番号や道具は大切にしなさいといっていましたね。
主な選手の「背番号」「四股名」のこだわり
「18」桑田眞澄が、引退時に「パイレーツには18を付けて頂いた事に感謝している」「18」レットソックス松坂投手の後輩、西武涌井投手が、来シーズン継承するのか
「5」巨人を自由契約になった清原和博のあと、外国人選手がつけたものの、ファン感謝祭から不評。自身も活躍せず。現在はラミレス外野手がつけている
「6」巨人でかつて、篠塚・落合・川相と代々攻守にわたって活躍した背番号を、坂本内野手がつけた。
「清国」大相撲、伊勢ヶ浜部屋の安馬が、大関昇進で部屋の由緒ある仙台親方の四股名も候補に上がったものの、先代が拒否。結局「日馬富士(はるまふじ)」に。部屋にはほかに「照国」等がある。
「小錦八十吉(やぞきち)」大相撲、高砂部屋に由緒ある四股名を、自身が再婚する際(旧姓は塩田)日本国籍として使えるかについて、相撲協会が許可した。なお、芸能活動はKONISHIKI。部屋にはほかに、高見山などがある。
「四ツ車」伊勢ノ海部屋にある由緒ある四股名。歌舞伎にも「江戸の火消しめ組との喧嘩」などで登場している。現何十年ぶりかで十両に昇進し、勝ち越し時には歌舞伎で現在演じている市川団十郎さんとの対面を予定している。