夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

⚠️夜だるま速報/訃報

歌舞伎俳優の市川左團次(いちかわ・さだんじ、本名・荒川欣也=あらかわ・きんや)さんが15日午前3時48分、右下葉肺がんのため死去した。82歳だった。最後の舞台出演は今年1月、国立劇場「初春歌舞伎公演」だった。今月の歌舞伎座鳳凰祭四月大歌舞伎」(27日・千秋楽)にも出演予定だったが、2日の初日から体調不良で休演していた。葬儀は20日に家族葬で営む。喪主は妻の荒川千絵(あらかわ・ちえ)さんが務める。

【写真】温厚な表情で語る市川左團次さん

 敵役、老け役、道化役と幅広い役柄で重厚な演技を見せた左團次さんが天国へと旅立った。がんを周囲に明かさず、今月2日開幕の歌舞伎座公演に向けて直前まで稽古に参加していたこともあり、突然の訃報に歌舞伎界に衝撃が走った。

 幼い頃から何度も共演してきた盟友の尾上菊五郎(80)は「本当に突然の報(しら)せでしたので、驚きと共にさみしい気持ちでいっぱいです」と悲痛にコメント。この日、弔問したことを明かし、「いろいろな思い出が胸にこみ上げてきました。役者としても人間としても明るく優しい、ちゃめっ気もある、素晴らしい仲間です」。最後の舞台となった国立劇場の「遠山桜天保日記」でも共演していた。

 明治期に市川團十郎尾上菊五郎と並ぶ「團菊左」として一時代を築いた市川左團次の大名跡を1979年に4代目として襲名した。2代目左團次が復活させた「毛抜」の粂寺弾正ほか、敵役に定評があり「暫」の清原武衡、「助六」の意休、「実盛物語」の瀬尾十郎などを当たり役とした。老け役や脇役も嫌がらず、歌舞伎界の名バイプレーヤーとして活躍。「怒る姿を見たことがない」という穏やかな人柄でも慕われた。

 約180センチの長身で体格もよく、豪快で大酒飲みだと思われがちだったが、かつてスポーツ報知の取材に「お酒を飲んで楽しかったことがない。『こんなつまらないもの、飲んだって仕方ないや』と22でやめた」と話していた。また、心臓のバイパス手術を2回経験したことも明かしていた。

 私生活では22歳で結婚し、長男(市川男女蔵)が誕生したが、その後に離婚。長く独身を貫いたが、06年、65歳の時に25歳下の千絵さんと再婚したことが報じられ話題を呼んだ。

 昨年12月の市川團十郎襲名披露公演では、松本白鸚(80)の代役で口上の進行役をつとめ、新團十郎に「日本のみならず、世界各国で大輪の花を咲かせることを期待しております」と激励した。團十郎は「生まれた時からお世話になった大恩人です。市川宗家としての私に対して『市川宗家である』ということを左團次さんは行動で示し続けてくださいました。歌舞伎界にとりましても大変な損失です」と別れを惜しんだ。

 ◆市川 左團次(いちかわ・さだんじ)1940年11月12日、東京都生まれ。3代目左團次の長男。47年5月、東京劇場「寺子屋」の菅秀才で5代目市川男寅として初舞台。62年歌舞伎座「曽我の石段」の八幡三郎などで5代目市川男女蔵を襲名。79年歌舞伎座「毛抜」の粂寺弾正などで4代目市川左團次を襲名。テレビでは07年のNHK大河ドラマ風林火山」などに出演。屋号は高島屋。長男は6代目男女蔵、孫は7代目男寅。