昨日夕方から私が8年間、構成員を担当している「庄内地区福祉有償運送運営協議会」の打ち合わせやらなんやらで、バタバタしていた今日この頃。
早い話が有償で行う送迎サービスについて。内容は避けるが、来年度に向けてこれから行われる会議についての話を。
まーなんやらかんやらワイドショーは水木さん一色みたいな。ゲゲゲ~を放送していたフジテレビも、版権の問題なのか最近放送した平成版でしたね。(アニメは放送を終えると、版権は制作会社に移管するらしい。)そこに行くと、NHKは「ゲゲゲの女房」再放送(正式には再再放送)らしい。
地元の商店街も、天に召されたというより、「妖怪の国に帰って行かれた」という表現でしたね。
しかし亡くなられたばかりの家族に、マイク向けるリポーターもなぁ。布江さん、足ケガしているらしいし。
幸い所属プロダクションが、水木さん(お父ちゃん)への愛情をつづったコメントを出されたのが救いですが。
9月25日に発表された中村橋之助(50)「中村芝翫」(しかん)の八代目を襲名。同時に橋之助の長男、中村国生(くにお=19)が四代目「中村橋之助」、次男の中村宗生(むねお=17)が三代目「中村福之助」、三男の中村宜生(よしお=14)が四代目「中村歌之助」をそれぞれ襲名することも発表。
会見から2カ月、橋之助の妻・三田寛子(49)が笑顔で語る。
「いまの私は、4人の襲名披露の準備に日々追われています。そのひとつが、襲名ご挨拶のお配りもの。手ぬぐいにしても4人の新しい名前入りのものを作らないといけませんから。4人に意見を聞いてデザイナーさんと打ち合わせをしたり、手ぬぐいや扇子はそれぞれ業者さんが違いますので。毎日のように二つ、三つ掛け持ちで業者さんと打ち合わせをしています」
さらには来年5月28日の襲名披露パーティの準備も、三田が中心となって行っている。91年に橋之助と結婚してから24年が経った。もともとは小泉今日子や中森明菜と同じ「花の82年組」として歌手デビューし、アイドルとして人気を博した彼女。歌舞伎役者の妻は「無理かもしれない」と思ったこともあったという。
「婚約した91年の春からお母様(橋之助の母)に『一緒に行きましょう』と言っていただいて和洋中華のお料理や華道、茶道、それに、お習字。さらには、お客様をおもてなしするときのお料理『江戸懐石近茶流』や、マナー教室にも通い、花嫁修業を始めました。加えて歌舞伎の歴史やしきたり、演目。それに、さまざまな行事がありますので。こうしたこともお母様に教えていただき、自分でも勉強しないと、みなさんについていけませんでした」
結婚後には、本格的に「梨園の妻」としての務めが始まった。
「よく”梨園の妻”という言われ方をされますが、奥様方のお役目は、それぞれのおうちによって違うと思います。ですから『これが梨園の妻の仕事』という言い方は一概にできないんですね。私の場合は、何よりもまず主人の体調・健康管理です。歌舞伎役者は常にベストの状態で舞台に立って、お客様に芸をお見せして、満足していただくのが務めというか、仕事ですから。それから主人は『事故やケガでもしたら大ごとだ』と言われて、当時は運転を控えておりましたので、私が運転手として主人を送迎しておりました。それと、ご贔屓筋の方たちからご依頼のあった切符の手配も、番頭さんと一緒にさせていただいております」
橋之助の父である7代目芝翫からは「舞台側は役者の仕事。客席側はすべて妻の仕事」と教えられたという。
「舞台にかかりきりの主人の名代として、ご贔屓筋をはじめ見にきてくださったお客様へのご挨拶、ご案内、ご接待、お礼、お見送り……といったこともすべて私の務めです。ほかには、歌舞伎はご祝儀が多い世界です。それをきちんと記帳したり、いまは税理士さんにお任せしていますけど、結婚してから簿記を勉強して帳簿もつけていました。こうした経理的な仕事として、成駒屋という”会社”で働いてくださっているみなさんにお給料をお渡しするのも私の務め。おっちょこちょいの私はたまにお給料日を忘れてしまったりしますけど(笑)」
結婚前に考えていた「ひっそりと陰で夫を支えるのが歌舞伎役者の妻の務め」という彼女の考えも、「それではいけない」と言われたという。
「結婚する前は、主人の舞台を見に行っても、お客様に『三田寛子だ』と気づかれたら恥ずかしい。そう思ってなるべく下を向くようにしていました(笑)。しかし私は結婚して『歌舞伎役者・中村橋之助の妻』という”制服”を着ることになったわけです。常に中村橋之助の妻として背筋をシャンと伸ばして、お客様にきちんとご挨拶をする。ですから、結婚してからずっとオンの状態が続いていて、オフはないですね(笑)」
来年の襲名披露を控え「オフなき梨園妻生活」は、ますます忙しくなりそうだ。
会見から2カ月、橋之助の妻・三田寛子(49)が笑顔で語る。
「いまの私は、4人の襲名披露の準備に日々追われています。そのひとつが、襲名ご挨拶のお配りもの。手ぬぐいにしても4人の新しい名前入りのものを作らないといけませんから。4人に意見を聞いてデザイナーさんと打ち合わせをしたり、手ぬぐいや扇子はそれぞれ業者さんが違いますので。毎日のように二つ、三つ掛け持ちで業者さんと打ち合わせをしています」
さらには来年5月28日の襲名披露パーティの準備も、三田が中心となって行っている。91年に橋之助と結婚してから24年が経った。もともとは小泉今日子や中森明菜と同じ「花の82年組」として歌手デビューし、アイドルとして人気を博した彼女。歌舞伎役者の妻は「無理かもしれない」と思ったこともあったという。
「婚約した91年の春からお母様(橋之助の母)に『一緒に行きましょう』と言っていただいて和洋中華のお料理や華道、茶道、それに、お習字。さらには、お客様をおもてなしするときのお料理『江戸懐石近茶流』や、マナー教室にも通い、花嫁修業を始めました。加えて歌舞伎の歴史やしきたり、演目。それに、さまざまな行事がありますので。こうしたこともお母様に教えていただき、自分でも勉強しないと、みなさんについていけませんでした」
結婚後には、本格的に「梨園の妻」としての務めが始まった。
「よく”梨園の妻”という言われ方をされますが、奥様方のお役目は、それぞれのおうちによって違うと思います。ですから『これが梨園の妻の仕事』という言い方は一概にできないんですね。私の場合は、何よりもまず主人の体調・健康管理です。歌舞伎役者は常にベストの状態で舞台に立って、お客様に芸をお見せして、満足していただくのが務めというか、仕事ですから。それから主人は『事故やケガでもしたら大ごとだ』と言われて、当時は運転を控えておりましたので、私が運転手として主人を送迎しておりました。それと、ご贔屓筋の方たちからご依頼のあった切符の手配も、番頭さんと一緒にさせていただいております」
橋之助の父である7代目芝翫からは「舞台側は役者の仕事。客席側はすべて妻の仕事」と教えられたという。
「舞台にかかりきりの主人の名代として、ご贔屓筋をはじめ見にきてくださったお客様へのご挨拶、ご案内、ご接待、お礼、お見送り……といったこともすべて私の務めです。ほかには、歌舞伎はご祝儀が多い世界です。それをきちんと記帳したり、いまは税理士さんにお任せしていますけど、結婚してから簿記を勉強して帳簿もつけていました。こうした経理的な仕事として、成駒屋という”会社”で働いてくださっているみなさんにお給料をお渡しするのも私の務め。おっちょこちょいの私はたまにお給料日を忘れてしまったりしますけど(笑)」
結婚前に考えていた「ひっそりと陰で夫を支えるのが歌舞伎役者の妻の務め」という彼女の考えも、「それではいけない」と言われたという。
「結婚する前は、主人の舞台を見に行っても、お客様に『三田寛子だ』と気づかれたら恥ずかしい。そう思ってなるべく下を向くようにしていました(笑)。しかし私は結婚して『歌舞伎役者・中村橋之助の妻』という”制服”を着ることになったわけです。常に中村橋之助の妻として背筋をシャンと伸ばして、お客様にきちんとご挨拶をする。ですから、結婚してからずっとオンの状態が続いていて、オフはないですね(笑)」
来年の襲名披露を控え「オフなき梨園妻生活」は、ますます忙しくなりそうだ。
それでも「ひるおび」に出演したりしていますね。
82年組という、小泉今日子らと同期。アイドル当初ののほほんという雰囲気から、凛々しくなった気がしますが、考えてみると子い育てもしてご両親の世話もしてですから休めないですね。海老蔵の奥さまもそうですな。
夫の橋之助さんも、山形に去年来られて公演していましたが、これを励みに飛躍してほしい。