夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

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7月例会酒田大火 - YouTube

本日は山形県酒田市で起きた、「酒田大火」の日。私五歳

1976年(昭和51年)10月29日17時40分頃、酒田市中町2丁目にあった映画館「グリーンハウス」のボイラー室から出火。すぐに観客20名は避難したが当日の酒田市は風が強く、またたく間に隣接していた木造ビルや木造家屋に燃え広がった。火災は西よりの強風(元々酒田市周辺は、日本海から内陸部への風の通り道であり、最大瞬間風速26.7メートル毎秒の風が吹いていた[1])によって更に範囲が拡大していく。また、その強風により大量の飛び火や火の粉が発生し、消火活動が思うように進まなかった。

日付が変わった30日の午前3時には火勢は新井田川まで迫ったものの、対岸からの直上放水実施や降雨の影響で延焼を食い止めることが出来たため、午前5時に鎮火した。消火活動の際、住宅5棟が破壊された。

なお、酒田地区消防組合管内(酒田市遊佐町庄内町)の火災発生件数は、1976年が118件だった(2015年は38件)[2]。
 
被害編集
市の中心部を含め1774棟が焼失[1]し、被害総額は約405億円にも上る。死者は消防士1名で、火の粉等で目を負傷する消防士・消防団員が続出した[1]。被災者は約3300名。

なおこの火災による唯一の死者は、当時の酒田地区消防組合消防長で、火災発生2日後に火元とされる映画館で発見された。証言によると火災発生の知らせを自宅で受け、通りがかりの車に便乗して現場に到着後、人命検索のため進入し煙に巻かれたものとされる。

山形地方法務局酒田支局にも延焼危険が生じたため、数万冊に及ぶ各種登記簿の搬出が計画され、陸上自衛隊隊員30名が派遣されたが、時間的物理的に搬出不可能と判断された。そのため酒田支局長は独断で、最悪の場合事務所棟を破壊し登記簿等の保管庫を守ることを決意し、伝手を頼ってショベルカーを手配し、陸自隊員も破壊準備にあたった。その後山形地方法務局長とも電話連絡が取れ、局長からも登記簿防衛が最優先、最悪の場合庁舎破壊を許可する旨口頭での了解を得たが、火の向きが変わり延焼は免れた。