ディープインパクトが死んで、いろんな反響ありますね。
年々人気馬の種付け回数が多くなっていることに、危惧していた矢先だけに。
「ディープ 最期に大きく息」社台スタリオンの徳武さん、治療内容語る
ジャパンカップ「完璧なレースだった」
――頸部(けいぶ)の不調が判明したのはいつ。
「今年は2月上旬から種付けを開始したが、18日朝の放牧後に突然、動作がおかしくなった。放牧中に走ったり、暴れた形跡はなく、スタッフも様子を見ていたが、特に原因となる理由が見当たらない」
――手術に踏み切った理由は。
「頸部の不調を確認してから、社台やノーザンの外科を専門にする獣医5人を中心に医療チームを組み、治療を進め、病状の原因を特定できた。手術しなければ、いずれ状態が悪化することが分かっていた。種牡馬としてもう一度復活してほしいという思いで、踏み切った」
――手術の内容は。
「頸椎(けいつい)を固定し、痛みを軽減する手術。95%は改善すると言われ、執刀は米国の専門医が行った。術前の体調は非常に良く、万全の状態で臨むことができた。無事成功し、麻酔から覚めた後は草を食べ、厩舎(きゅうしゃ)内を動き回っていた。表情もリラックスしていたが、29日昼ごろに容体が急変した」
――安楽死の決断に迷いはあったか。
「起立不能になり1日近く経過していた。ディープ自身も痛みを通り越し、本当に静かで寝ている状態に近かった。回復する見込みもなく観念している様子だった。最期は息を大きく吸っていたが、苦しんではいなかった」
――印象に残っているレースは。
「2006年の凱旋門(がいせんもん)賞で禁止薬物により失格になった後、出場したジャパンカップ。世間から疑いの目を向けられている中で、見事な勝利を収めた。本当に完璧なレースだった」
「今年は2月上旬から種付けを開始したが、18日朝の放牧後に突然、動作がおかしくなった。放牧中に走ったり、暴れた形跡はなく、スタッフも様子を見ていたが、特に原因となる理由が見当たらない」
――手術に踏み切った理由は。
「頸部の不調を確認してから、社台やノーザンの外科を専門にする獣医5人を中心に医療チームを組み、治療を進め、病状の原因を特定できた。手術しなければ、いずれ状態が悪化することが分かっていた。種牡馬としてもう一度復活してほしいという思いで、踏み切った」
――手術の内容は。
「頸椎(けいつい)を固定し、痛みを軽減する手術。95%は改善すると言われ、執刀は米国の専門医が行った。術前の体調は非常に良く、万全の状態で臨むことができた。無事成功し、麻酔から覚めた後は草を食べ、厩舎(きゅうしゃ)内を動き回っていた。表情もリラックスしていたが、29日昼ごろに容体が急変した」
――安楽死の決断に迷いはあったか。
「起立不能になり1日近く経過していた。ディープ自身も痛みを通り越し、本当に静かで寝ている状態に近かった。回復する見込みもなく観念している様子だった。最期は息を大きく吸っていたが、苦しんではいなかった」
――印象に残っているレースは。
「2006年の凱旋門(がいせんもん)賞で禁止薬物により失格になった後、出場したジャパンカップ。世間から疑いの目を向けられている中で、見事な勝利を収めた。本当に完璧なレースだった」
社台スタリオンという日本屈指の厩舎を持っても防げなかったのが悔やまれる。
ディープインパクトは、私にとっても違う意味で印象深い。
当時懸賞でディープインパクトのぬいぐるみが大当たりし、わが家に泊まり始めたころのちゃめが欲しがってただをこいだ(こねた)のを思い出したので、ちゃめも長いことうちに来ていたんだなと思い知らされる。
数撃ちゃ当たるというのか、あの巨体でだからなぁ。
ありがとうディープインパクト。