夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

夜だるまエンターテイメント

イメージ 1

「甲子園は清原のためにあるのか」など、高校野球の名実況で知られる元朝日放送アナウンサー植草貞夫氏(86)の孫が、1日から沖縄テレビのアナウンサーとしてスタートを切ることが3月31日、分かった。孫は植草凜(りん)さん(22)。貞夫氏の長男で、テレビ大阪植草結樹アナ(59)の長男。貞夫氏の夫人、長男結樹アナ、三男でテレビ東京の朋樹アナ(53)に続き、植草家に5人目のアナウンサーが誕生する。

【写真】沖縄のテレビ局にアナウンサーとして入社する植草凜氏

  ◇  ◇  ◇

名アナウンサーのDNAが、3代にわたって引き継がれる。79年夏の甲子園3回戦、星稜(石川)-箕島(和歌山)戦の「甲子園球場に奇跡は生きています」など、数々の名実況で知られた朝日放送の植草元アナの孫、凜さんが、沖縄テレビ報道制作部アナウンサーに採用が決まった。

凜さんの父結樹アナは「祖父、息子、孫の3代アナは史上初だそうです」と喜び、凜さんも「全力で勉強し、取り組んでいかなければと思っています」と、責任感を語った。

大学3年の時、アナウンサーへの道が頭に浮かび、父結樹アナに相談。「アナウンサースクールを見学してみなさい。気後れすることなく、努力を自身に課すことができるならやってみなさい」と助言された。

昨年、内定が届いた直後、自宅を訪れた祖父に打ち明けた。祖父の笑顔に、夕食の席が和んだ。「うちから5人目(のアナウンサー)か。頑張りなさい」という祝福に、身も心も引き締まる思いだった。

98年夏の第80回記念大会で最後の実況を終えた祖父のもとに、2歳の凜さんは駆け寄った。「テレビに映りこんでしまったと父に聞かされました」。一区切りを迎えた祖父をねぎらう思いが、幼い体を動かした。

沖縄テレビに入社した凜さんの前には、米軍基地を巡る問題など難題が横たわる。「県外から来た自分が県民の方に取材し、ニュースを伝えないといけない。全力で勉強し、地元に寄り添わないとできないこと」。視聴者、取材対象者に寄り添う思いを根底に、祖父は放送史を彩る名言を残した。日本放送界でも例がない“3世代アナ”は、偉大な祖父の背を追う。

◆植草凜(うえくさ・りん)1996年(平8)6月30日、兵庫県西宮市生まれ。西宮北高から関西外大国語学英米語学科を経て沖縄テレビ入局。幼稚園から中学まで剣道、西宮北高ではハンドボール部に所属。趣味は音楽鑑賞とプロレス観戦。好きな作家は重松清。家族は両親と弟。