夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

夜だるまスポーツ

史上初の2度目の春夏連覇を狙う大阪桐蔭と、15年夏準Vで悲願の初優勝を目指す仙台育英の一戦は、1点を追う仙台育英が9回裏2死から反撃。遊撃へのゴロを放った仙台育英・若山が一塁へ気迫のヘッドスライディングで滑り込み、一塁手・中川の足がベースを踏んでいないとしてセーフとなり、次打者・馬目の中越え打で劇的な逆転サヨナラを決めた。

 試合が終わる“万事休す”の場面で起きたアクシデントで試合の流れが変わった試合が、第61回大会でもあった。

 1979年8月16日、大会9日目の第4試合の箕島・星稜戦。1―1から延長に入り、延長12回にともに1点ずつを取り合った。そして延長16回表に星稜が3―2と勝ち越したその裏、箕島は2アウト。ここで森川が一塁ファウルフライを打ち上げた。万事休すと思われたが一塁手の加藤がファウルグラウンドに敷いてあった人工芝に足をとられて転倒しつかめず、打ち直しの場面で同点アーチが飛びだした。試合は引き分け再試合寸前の延長18回に箕島が上野の中前安打でサヨナラ勝ち。箕島はその勢いで快進撃し、春夏連覇を果たすことになるだけに、“世紀の落球”と甲子園の歴史に残った。