今日も朝から晴れていて、幹線道路にある温度計が25度を指してまして、まだ暑さに慣れていない身としてはきつい。
さて全国的に図書館の本が切り取られてたり破かれたりしている。
わが鶴岡市もやられてた。そのニュースを見ていたらなんと、私が昔作った本が切り取られていた。
わが施設は郷土本や資料本を作っていた時期があり、今は統廃合で姿を消した学校や集落の歴史など、今となっては貴重な資料となる書籍を作っては、売られていたり展示されているのを見ると、少しでもその本の製作過程に携わっていたりすると、喜んだ記憶がある。
本はたくさんの人の手によって作られる。
紙の製作、著者の原稿、その原稿を入力し構成(校正)・編集する製版工(ここがおいらの仕事)、それを印刷し、製本する製本工、輸送、卸問屋、本屋や図書館などに流れる。
最近は出版社も、製版全般を我々外部に発注して経費を浮かさないと、出版業界自体成り立たなくなってきた。個人的には印刷する「製本」は減っても、電子書籍になっても編集する「製版」の仕事はなくならなとがする。ただ、著者がその技術があって、あるいは簡単にできるソフトなんかもっと普及し、自前で持ち込まれたらお手上げだ。
話はそれたが、この事件はもともと別の(悪意のある)意味でおこした事件が広まり、それをまねた愉快犯とみる。
私は印刷という仕事に携わってから、古いと思っていた「書物」という言葉に愛着をわくようになった。その「書物」を、しかもその本の製作の一端をした本が破られたのにはショックを禁じ得ないなぁ。
こういうやつはね。ものすごい下●して、何回もトイレに行って紙がなくなって、さらにお尻が真っ赤っかになって拭けなくなって、仕方なくウォシュレット使ったらものすごい熱湯が出てくるぐらい、紙のありがたさを知ればいい。