夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

夜だるまスポーツ

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両国国技館のエントランスに展示されている「織田信長上覧相撲図」の前で、50歳の5を指で示して記念撮影。日本史が大好きだった北の湖はこんなコメントを寄せた。「1582年に本能寺の変で自害したとき、信長は48歳でした。志半ばでこの世を去りました。ちょうど私が理事長になったのが48歳でしたから、これからやらなければ、という思いが強いのです」。そして、こう話した。「13歳で北の湖というしこ名をいただいてから、現役時代、そして親方になってからも名前が変わっていない。それだけが誇りです」

 13歳から名乗っているしこ名を、誰よりも長く相撲協会で名乗ることを、ひそかな目標にしていた。横綱名のまま親方を名乗れる一代年寄大鵬に続いて2人目、その後は貴乃花がいるだけ。先人の大鵬に気遣い、あまり公言してこなかった夢だ。その後、この記録が話題になることはなかった。北の湖が亡くなってから、相撲協会広報部で資料を突き詰めてみた。

 大鵬は1940年5月29日生まれ。定時制高校1年だった16歳で入門し、56年秋場所初土俵は本名の「納谷」だった。十両に昇進した59年夏場所(5月)から大鵬に改名し、71年夏場所で引退。一代年寄大鵬を襲名し、05年5月28日の定年(65歳誕生日前日)まで名乗り続けた。翌日から本名の納谷幸喜として、相撲博物館館長に就いた。つまり、大鵬を名乗ったのは、59年5月から05年5月までの46年ということになる。

 北の湖は1953年5月16日生まれ。中学1年だった67年初場所(1月)に北の湖として初土俵を踏み、85年初場所で引退し、一代年寄北の湖を襲名。在職のまま15年11月に亡くなった北の湖がしこ名を名乗った期間は48年10か月だった。ここは北の湖の気遣いに倣い、あえて差を求めないでおこう。

 北の湖は「弘照院殿北偉徳実法湖大居士」として、神奈川・川崎大師の墓所に眠り続ける。大きな手形が入った土俵のように丸い石碑は、何歩も下がって支え続けた、愛妻・とみ子の自信作だ。来年には境内に横綱姿の銅像が建つという。