夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

まだ早いんだが、惜しまれつつ引退の栗原

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 プロ野球パリーグがここにきて日本ハムが王手して足踏みする中、引退だ、自由契約だという寂しいニュースが。
 そんな中、山形出身で侍ジャパンの主砲としても活躍した、楽天栗原健太が静かにバットを置く。
楽天栗原健太内野手(34)が今季限りで現役を引退することが27日、分かった。すでに球団には申し入れており、近日中に発表される。同選手は1999年ドラフト3位で広島に入団。持ち味の勝負強さで通算1082安打、153本塁打、586打点を記録したが、ここ数年は度重なる故障に苦しんだ。明るい性格で誰からも愛された大砲が惜しまれつつ、ユニホームを脱ぐ。

【写真】楽天の入団テストに合格し、梨田監督と笑顔を見せる栗原

 類いまれな勝負強さで長く広島の主砲を務め、今季から生まれ故郷・東北に新天地を求めた男が、自らの引き際を決断した。栗原は25日の2軍のシーズン全日程終了を待ち、濃密だった17年間の現役生活に幕を下ろす決断を球団に伝えた。

 広島入団3年目の02年に1軍初出場を果たすと、着実に実績を積み重ねてレギュラーに成長。新井(現広島)が阪神移籍で抜けた08年には開幕から4番に座り、シーズン全144試合に出場し、打率・332、23本塁打、103打点を記録した。09年は第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を戦う侍ジャパンに準決勝から負傷の村田(横浜、現巨人)に代わって招集され、世界一を経験。卓越した打撃力に加え、ゴールデングラブ賞も3度獲得し、球界を代表する内野手に成長した。

 順風満帆の野球人生。しかし、生来の我慢強さが裏目に出た。チームの勝利を最優先に考え、慢性的な右肘痛を抱えながらプレーを続けたが、12年5月に右肘骨棘(こっきょく)の除去手術を余儀なくされた。以降は度重なる違和感に苦しめられ、本来の打撃を取り戻すには至らなかった。14年から2年連続で1軍出場はなく、昨オフには自由契約を申し入れ、楽天にテスト入団。「拾ってくれた球団に、何としても恩返しがしたい」と話し、死力を尽くしたが、今季も1軍出場はなく、2軍でも打率・188、4本塁打、15打点に終わった。

 今後については未定。それでも、明るく裏表のない人間性や、手を抜かず全力で練習に取り組む姿勢、豊富な練習量に裏付けられた野球理論に対する周囲の評価は高い。その存在は広島のみならず、楽天の若手にも多大な影響を及ぼした。山形の実家には、いつでも打撃フォームを確認できるよう、至る所に木の棒が置いてある。信号待ちの時間に突然、真剣な表情で傘を構え、周囲を驚かせたこともある。常に頭の中には野球があった。永遠の野球少年は惜しまれつつ、完全燃焼してバットを置く。

 ◆栗原 健太(くりはら・けんた)1982年(昭57)1月8日、山形県生まれの34歳。日大山形では2年夏に甲子園出場。99年ドラフト3位で広島入団。06年にレギュラーに定着し、11年にベストナインゴールデングラブ賞を獲得。12、14年と2度の右肘手術を受け、15年に自ら自由契約を選択。入団テストを経て楽天に移籍した。09年の第2回WBC日本代表。1メートル83、97キロ。右投げ右打ち。

 実家の焼肉屋さんには玄関上部に特大パネルがあり、ことし新聞社のご厚意で楽天のオープン戦でのバッティングパネルに変えたばかり。

 かつて南海皆川以来ぱっとしなかった山形県出身プロ野球選手が、横浜梅津、そして栗原、ソフトバンク長谷川と頭角を現してきた。30年前のPLとの29-7で負けた屈辱から、県を挙げて組織改革に取り組んだ結果が出ている。

 34かぁ。惜しいよなぁ。