夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

夜だるまスポーツ

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7月10日に初日を迎えた大相撲名古屋場所。場所中、修古館は九重部屋の宿舎として使われている。そこで若い弟子たちに激しく檄を飛ばしていたのは、幕内優勝31回、「ウルフ」の愛称で圧倒的な人気を誇り、国民栄誉賞も受賞した元横綱千代の富士九重親方(61才)だった。

 その朝、約30人のファンが九重部屋の朝稽古を見学に来ていた。年に1回の名古屋場所。毎年見に来るという地元のファンは「あそこに座ってるのが千代の富士かい。わからなかったよ。この1年で、ずいぶんやせたんだねえ…」とつぶやいた。今でも、その鋭い眼光は変わらない。ただ、筋骨隆々とした姿はそこにはなかった──。

 九重親方はちょうど1年前の名古屋場所を、「内臓疾患」を理由に休場していた。九重親方の場所中の職務は「監察委員」として無気力相撲の有無を館内でチェックすること。その役を休み、続く9月の秋場所に復帰した時、親方は誰もが驚くほどやせていた。マスコミは「重病ではないか」と大騒ぎになったが、その時、親方はファンを安心させるように、笑顔でこう答えた。

「7月下旬まで1か月ほど入院していた。『膵臓がん』が発見され、手術もした。早期発見ということで問題はないそうだ。治療は続けているけれど、もう健康体だから大丈夫」

 膵臓がんはすべてのがんの中でも“最も恐ろしいがん”とされている。発見が難しく、見つかった時にはすでに進行しているケースが非常に多い。根治には親方のように外科手術で病巣を完全に切除するしかないが、手術したとしても5年生存率は極めて低く、3%とも5%ともいわれる。早い段階でリンパ節に転移してしまう可能性が高く、切除手術が成功しても、約7割が再発するともいわれる。

「本人には聞けないが、『問題はない』と言われても、周囲の不安はぬぐえなかった」(相撲関係者)

 九重親方のがんは年に1度受けていた健康診断で発見されたという。

「親方は都内の大学病院で毎年、誕生月の6月に健康診断を受けています。そこで膵臓がんが見つかりました。すぐに入院して、摘出手術。一時はそれでもう安心だと思われました。ところが、さらに検査を進めると、他の部位にも転移していることがわかったそうなんです。膵臓の手術を行った病院は日本の医療の最高峰といっていい病院です。それでも手術ですべての病巣を取り除くのは難しいと判断されました。そこで、医師は抗がん剤治療をすすめましたが、九重親方はそれを保留し、セカンドオピニオンを求めたんです」(前出・相撲関係者)

 抗がん剤による治療を拒む──そうした決断をするがん患者は決して少なくない。抗がん剤治療は、がんの転移などによって手術による病巣の除去が難しい場合や、手術の前に少しでも病巣を小さくしておく目的で行われるのが一般的だ。だが、抗がん剤はがん以外の正常な細胞にも作用してしまうため、激しい副作用を伴うことが多い。ひどい吐き気や全身のだるさに襲われる、食事が喉も通らない、髪の毛が抜ける…。もちろん個人差はあるが、患者にとっては日常生活が困難なほど過酷な治療で、抗がん剤治療に対しては「クオリティ・オブ・ライフを低くする」と指摘する声も少なくない。

 決断に迷った九重親方が頼ったセカンドオピニオンが、「UMSオンコロジークリニック」(以下、UMS)だった。

 UMSがあるのは鹿児島県鹿児島市鹿児島空港から車で40分ほど。県内一の繁華街にほど近い場所にある、6階建てのこぢんまりした建物だ。2006年10月から診察を始めた比較的新しい病院である。

「親方はまず、UMSで治療が可能かどうか、病気の画像データなどを持参して相談したそうです。病院側は“抗がん剤を多量に使用しなくても治療する方法がある”と提案した。そこで、今年に入ってからこの施設で治療を受けるようになったそうです」(前出・相撲関係者)

 UMSでは全国でここしか行われていない「四次元ピンポイント照射療法」という放射線治療の一種を施している。また、女優の樹木希林(73才)が治療に通っていたことでも知られる。

 大酒豪で知られた九重親方だが、昨年6月にがんが発覚して以降、アルコールは一滴も口にしていないという。

「がんが見つかっても、転移があっても、決して諦めない精神力が親方らしい。UMSには今年の年明け頃から通い始めて、数か月に1度、1週間程度泊まりがけで鹿児島に通っているそうです。治療費は交通費や宿泊費など含めて200万円ほどだと聞いています。とにかく家族のために、そして少しでも元気な状態で生きて、相撲界のために後進を育てたいという一心。まさに現役時代さながらの不屈の闘志でがんと闘っているんです」