夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

歌丸フォーエバー

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 本題の前に、今回の熊本地震で、私の知っている方全員の安否を確認いたしました。
 自宅は損壊したが、他よりはましでしたという方がほとんどでした。
 さんまさんの言葉。「生きているだけで丸儲け」これは幼いころ亡くした弟などへのオマージュらしいですが、まさにそうですね。

 生きているだけというと、先ほど更新したとおり、「笑点」の桂歌丸さんが「勇退」を発表された。
落語家の桂歌丸さんが30日、東京都内で行われた日本テレビの長寿演芸番組「笑点」の50周年記念特番(15日放送)の収録で番組からの引退を発表した。三遊亭円楽さんは収録後に会見で「呆然としている」と心境を明かし、「男の引き際ってこういうものなのかな」と涙ながらに語った。

【写真特集】突っ込み役の三遊亭円楽の目にも涙…
 歌丸さんはこの日の収録中に自ら22日の放送を最後に大喜利の司会を引退すると発表。理由は「体力の限界」で、「これ以上、迷惑はかけられない」と説明したが、円楽さんは「死ぬまでやればよかったんだ、あそこ(司会者の席)で。迷惑をかけたって……」と言葉を詰まらせた。

 林家木久扇さんも「本当に驚いた。まだおやりになられるのに……。司会・進行が本当にお上手で、歌丸師匠の後が誰になるのか思い浮かばない」とコメント。三遊亭好楽さんも「大喜利の天才」と改めて歌丸さんの才能を惜しみ、「この人が(番組から)いなくなっちゃうなんて夢なんじゃないか。ぽっかりと穴が開いたような」と喪失感を明かした。

 会見には、三遊亭小遊三さん、春風亭昇太さん、林家たい平さん、山田隆夫さんも出席。山田さんは「本当に寂しい。体に気をつけて長生きしてください。ありがとうございました」と涙をこらえながら歌丸さんへの感謝の言葉を述べた。

 「笑点」は1966年5月にスタートした国民的演芸番組で、歌丸さんは第1回から出演。歌丸さんは「正直、寂しい」と素直な心境を明かすと、「50年間、シャカリキにやってきた番組で、名前と顔を売り出してくださった」と番組にも感謝し、「全てが思い出です」と語った。歌丸さんの最後の出演は22日の放送で、当日は生放送になる。歌丸さんは今後も落語は続け、「終身名誉司会」として番組にも関わっていくという。

 なお、この日に収録された「50周年記念スペシャル」は15日午後5時~同6時に放送される。

 ちなみになぜきょう発表かというと、笑点は月二回、土曜日に2回分収録をする。これに地方ロケが年3回ほどあり、つまり、結構ストックがある。
 圓楽歌丸さん罵倒には理由があり、レギュラーになったころ、「瀬古に似ている」以外とりえのなかった当時の楽太郎に、歌丸さんが「あたしのこと罵倒してもいいから」が最初。歌丸もかつて罵倒しあった故三遊亭小円遊とこの手法で売れ、私生活では売れなかった時代一杯のラーメンを分け合って食べた中。それが笑点ハワイロケで体調を崩し、山形県米沢市の独演会で倒れ突然の別れをした経験もあり、楽太郎の師匠、先代圓楽を尊敬していた、初回からの付き合いから手を差し伸べたのでしょうね。(ハワイロケでは、こん平の師匠三平が亡くなり、一晩スタッフとみなで泣き明かしたという)

 昔からそんなに丈夫でなかった体に、ヘビースモーカーがたたって肺気腫になった09年。最近は車いす、酸素ボンベでしたが、これからは空いた時間、体調を気遣って後世に落語の演目掘り起こしをしてほしいですね。

 お会いしたことはないですが、「林家木久扇」の名前決定時に「夜だるま昆布長さんに決まりました」の発表を収録したDVDと、メンバーの色紙は家宝ですね。
 22日の生放送が最後の出演で、新しい司会者などは近日発表される。