夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

「単純にする」は難しい

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 きょうは山形、30度は越しているものの、風がありやや、「やや」過ごしやすい。

 そんななか、タイミングよく午後に栄養士による研修として、某メーカーさんによる講話。まー最後は

O●-1が経口補水としておすすめ

というオチでしたが。
 まぁ実家にいる高齢の父親のこともあり、居眠りもせずしっかり聞いてきましたが。

 改めて任天堂、岩田社長の死去は、国内外に衝撃が走っている。
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 単純に言うと、ファミコンとして鳴らした任天堂を、DSで立て直し、ソーシャルゲームという巨大な壁にも立ち向かい、DeNAと共同開発していた新機種を見ることなく、志半ばでという無念さがある。

 
 09年3月期には、就任時の3倍の売上高となる1兆8000億円を超え、日本中の他業種企業が「任天堂を見習え」となったが、あまりの任天堂の“独り勝ち”は、他のゲームメーカーから警戒されることにもなった。そこに低コストで高収益が見込めるソーシャルゲームが登場すると、ソフトメーカーの開発の軸足もそこへ向き、反比例して任天堂ハードでのタイトル数は減り、普及の足かせとなった。

 皮肉だが、岩田社長のゲーム人口拡大の試み、異質への挑戦が、新規のソーシャルゲームの拡大を後押しした結果となったわけだが、それで功績が色あせるわけではない。「ゲームのヒットは水もの」と言われ、多くの経営者がそのかじ取りに苦労する中、山内前社長の人を見る目は確かで、見事に応えた岩田社長もまた一流の経営者だった。

 残念だが最大の誤算は、山内前社長の死からわずか2年後に訪れた自身の若すぎる死だろう。山内前社長が組織した6人の代表取締役による集団指導体制も、気付けば竹田玄洋、宮本茂の両専務だけとなり、体制の立て直しは急務だ。任天堂は、ゲーム業界を変えた2人の偉人をわずか数年で失い、先の見えない“荒波”に繰り出すことになる。

 「星のカービィ」というゲームも、もともとは岩田社長が前身のHAL研究所から別物として発売する予定がこうなった経緯がある。

高いお金で買ってもらってなおかつ「掛け金」とかいうシステムで、さらに出費させてはいけない

ここ一つにこだわっていた。
 つまり昔のような単純なゲームはスマホなどであるものの、そこに架空のアイテムを「買わせる」ということが、社会問題になっている昨今に最後まで警鐘を発していた。

 家庭で遊び、夏休みには「ゲームキャラバン」という全国大会もかつてあった。任天堂はあくまで本体も「玩具」として、子供たちが荒っぽく使用していても壊れにくく作っていた。

 職人気質な任天堂の再生が見たい。