本日は「昭和天皇崩御をあらせられた日」つまり亡くなったわけで命日ですな。
倒れられて亡くなられるまで、各局は「天皇陛下のご容体。体温、血圧、脈拍、呼吸数、輸血の有無」をこと細かく報道し、容体が急変するたび番組が変更に。
政府も「ご静養、御治療につき、舞踊・歌唱の自粛」を発表し、派手な広告などが削除されましたな。
NHKなどは深夜、こういった静止画像を伝えていた
あの日メディアはどう伝えたか、おいらの記憶を紐解くと。TBSは「昭和天皇がお亡くなりになられました。87歳のご生涯でした」と淡々と伝えたうえ、このアナウンサーも取材班として宮内庁に詰めていて、交代で4人一組で食事に行き、夕方に4人で一本の大びんのビールを分け合って飲むのが唯一楽しみだったと語っていましたな。
フジテレビは、他局同様ご容体について9月から24時間放送をしていたが、送信機に負担がかかり、「ひょうきん族~ゴールデン洋画劇場」の間に煙が出てショートし、40分も放送事故に。
NHKは何かの本で当時7時のニュースをしていた松平アナが、「正月も休みがなく、たまたま7日が休みなので宮内庁に確認したところ、『一両日は大丈夫だろう』という確認を取ってしこたま飲み、午前様で帰宅したが、いつもの癖で枕元に電話を置いて寝た。」
「あれは何時だっただろうか、担当記者から『御車場(後続が載る車を止めておくところ)の動きが変だ』という一報が入り、私はよいのさめぬままNHKに向い、当直のアナウンサーと交代して崩御に関する番組を担当したのだが、何をしゃべったのか記憶にない。あるのは『天皇陛下がお亡くなりになられました』を繰り返したことぐらいだったか」というくだりの本が、おいらの実家にある本に書いてあったと思う。
「あれは何時だっただろうか、担当記者から『御車場(後続が載る車を止めておくところ)の動きが変だ』という一報が入り、私はよいのさめぬままNHKに向い、当直のアナウンサーと交代して崩御に関する番組を担当したのだが、何をしゃべったのか記憶にない。あるのは『天皇陛下がお亡くなりになられました』を繰り返したことぐらいだったか」というくだりの本が、おいらの実家にある本に書いてあったと思う。
「実はすでに亡くなっていて、7日まで持たせたのでは」「元号も決まっていた」「各局は木たるべき日をXデーとして、追悼特集のVTRを作っていた」「各局がご学友、ご友人の取り合いになった」という噂もあったが、一番の印象は、我が家の飼い猫「きんたやま」が、なぜかおとなしかったなぁ。