夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

数年に一度の暴風雪。思い出す、2005.12.25

 窓際が私の作業場の席で、行きかう車をぼーっと眺めたりなかなかなのですが、今日は隙間風が入ってきて寒いです。建物もぼろいし。

 施設の暖房と、食事前の手洗いの消毒(感染症防止)で手が今日の天気のように荒れまくっています。

 先ほどお伝えした酒田市飛島は、定期船がこの時期は最大半月も来ない日もあり、島の生活にも影響が出ます。

 去年ブログに投稿したこともありますが、ここは一時「無医村」状態になり、看護師2人のみで普段はテレビ電話で面談診察。週末のみ本土から医師が来ますが、定期船欠航だと、医師どころか満足な薬も来なくなるという事態。一度正月に脱水症状を起こしたお年寄りが、本土の救命医療センターに海上保安庁の船、ヘリすら近づけず、1週間待ったことも。

 このような吹雪だと、2005年12月25日に起きた特急いなほ転覆事故」に似てますね。
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JR羽越本線脱線事故(ジェイアールうえつほんせんだっせんじこ)は、2005年(平成17年)12月25日に羽越本線北余目駅 - 砂越駅間で平成18年豪雪によって発生した列車脱線事故である。

2005年(平成17年)12月25日19時14分頃、山形県東田川郡庄内町榎木の東日本旅客鉄道JR東日本羽越本線北余目駅 - 砂越駅間の第2最上川橋梁付近において、秋田発新潟行きの上り特急「いなほ14号」(列車番号:2014M-485系3000番台6両編成・新潟車両センター所属R24編成)が、橋梁通過直後に最も軽量であった2両目から脱線を始めて最終的に全車両が脱線、うち3両が転覆し、先頭車両が線路脇の養豚場(養豚・山形和牛肥育畜舎)共同団地内養豚の堆肥舎に激突し大破した。脱線時の運行速度は、運転士の証言等から約100km/hと見られている。

この事故により先頭車両に乗っていた5人が死亡、32人が重軽傷を負った。なお、乗客の目撃情報から秋田県内在住の母子2名が車内に閉じ込められたままだと報道されていたが、その母子はすでに事故発生現場よりも70km以上手前の羽後本荘駅で下車しており、無事だったことが数日後に判明している。

事故の発生した2005年12月の山形県庄内地方では例年と比べても激しい吹雪が続いていたが、事故当時は暴風雪・波浪警報こそ発令されていた(ウィキニュースの記事)ものの、前線を伴った温帯低気圧の暖域に入っており「横なぐりの雨」が降っていた。事故の直接の原因は突風だとされ(現場周辺住民からも「今まで体験したことがないようなものだった」との証言が出ている)、周辺の防砂林のクロマツが倒れていることや目撃情報などから、原因は局地的に発生したダウンバーストあるいは竜巻に煽られ転覆した可能性があるといわれた。

事故当日、最上川河口南方から事故現場までの一直線上で、ビニールハウスの倒壊や、国道7号沿いの防雪柵に取り付けられていた重さ105kgの鉄板が飛ばされコンビニエンスストアの軒を破壊するなどの大きな被害が発生していたことが確認されている。事故から2年後の2007年12月21日、山形県庄内警察署に置かれていた同事故捜査本部は委嘱専門機関の鑑定結果として、突風の原因を『竜巻と見られる』と発表している。

事故後、山形県警察が東京都内の大学研究室に依頼した風洞実験の結果、当該列車は風速40m以上の突風に襲われたと推定される。しかし、事故当日の気象庁酒田測候所が観測した最大瞬間風速は21.6m、現場近くのJRが設置した風速計の数値も20m程度と、極狭い範囲を移動した突風に対して、管理側で異常を検知することは出来なかった。
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事故を起こした同型の車両
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現在はこの車両に変わっている。

 あの日は連休で、次の日通院で実家から施設に戻る途中に見える橋の上から、普段来る「いなほ」が来ないと思っていたものの、「吹雪で遅れているな」ぐらいしか感じませんでした。

 ほんと、視界ゼロに近い天気でした。