夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

いっぽさんのご質問にお答え。「夜だるまが見る、落語会の・・・」

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 本題の前に、新潟での今朝の地震、大きな被害なく良かったです。
 書き込みにありました、勝美タクシーさまの「昭和39年」の新潟地震の際は、うちの母親が酒田市の今は大きくなった病院に住み込みで「看護助手・兼家政婦(院長離婚で、子供2人も小さかったため)・兼給食担当」をしていまして、もう少しで煮えたぎった味噌汁をなべごと頭から被る危機一髪だったとか。
 鶴岡市大山では、幼稚園が倒壊し、園児が多数犠牲になるという痛ましいことがありました。

 さて本題。少々長いです
 きのう、「桂歌丸」の色紙の一軒に書き込まれた、いっぽさんの質問にお答えします。

お断り・おいらの知識は「木久扇襲名」以降に覚えたことが殆どなので、あしからず


{http://blogs.yahoo.co.jp/tiyameco/31623219.html 実際に木久扇師匠にお逢いしたときのプログはこちら。2008.3}

落語協会

• 1923年9月1日 (関東大震災で東京は壊滅。旧来の「会社」と対立する諸派(睦会ら)の体制では立ち行かなくなる)
• 1923年10月 -「会社」も諸派も解散し、東京落語界が大同団結し、全員が合同して落語協会を設立する(設立に奔走した5代目柳亭左楽が会長となる)
1924年5月 - 協会分裂。会長の五代目を含む多くが脱退し「睦会」を再興。
• 1927年 - 協会分裂。人気の頂点にあった柳家三語楼#初代が一門ごと脱退し全く同名の落語協会を設立した。
o 以後、旧来の落語協会を「東京落語協会」と、三語楼一門の協会を「三語楼協会」と俗称するようになる。
o 1930年 - 三語楼協会崩壊。初代三語楼は単独で東京落語協会に復帰(1932年に再度脱退)。
• 1940年5月 - 日本芸能文化連盟が結成、その構成団体として講談落語協会が結成される。結社としての落語協会は活動を停止し、全員が講談落語協会に加盟
• 1945年 - 終戦後に講談落語協会が解散し、落語協会が事実上復活
• 1946年10月 - 「落語協会」として新たに発足。
• 1977年12月15日 - 旧法のもとで法人格を取得。社団法人落語協会となる。
• 1978年 - 協会分裂(いわゆる落語協会分裂騒動)。
• 1983年 - 協会分裂。立川談志一門が脱会。
• 2003年 - 自前の施設における協会自身による落語興行「黒門亭」がスタート。
• 2008年12月1日 - 民法が改正され、特例社団法人となる。
• 2012年8月1日 - 一般社団法人に移行[1]。これに伴い、社団法人落語協会から、一般社団法人落語協会に改称。

落語芸術協会

公益社団法人 落語芸術協会(こうえきしゃだんほうじん らくごげいじゅつきょうかい)は、東京の落語家・講談師などが組織する公益社団法人。1977年まで日本芸術協会という名だった。現在の会長は桂歌丸。東京の落語家だけでなく上方落語家も加入している。また講談師も多数加入している。

芸術協会の設立には吉本興業などが関わっている。
「兵隊」という既存の落語に、アクシデントを発端として独自演出を加えた落語家柳家金語楼は、たちまちのうちに超売れっ子スターとなっていった。NHKが開局し、金語楼にも出演依頼があった。当時、大阪でもそうであったように、東京の寄席経営者からも放送(ラジオ)は敵視されていた。客はラジオで演芸を聞いてしまうため寄席に来なくなってしまう、と危惧をしたのである。東京の寄席は相互で協定を結び、放送に出演する芸人をボイコットすることに決定した。そんななか、人気絶頂の金語楼は敢然とNHKに出演した。寄席経営者は金語楼の各寄席への出演を禁ずるだけでなく、抜け駆けを禁ずるために、金語楼を出演させた寄席への罰則(罰金)をも決定していった。ラジオと寄席への対立から、金語楼一門は上がる寄席を失い、単独で興行を打つことを余儀なくされた。
大阪では、当地のほぼすべての寄席を所有していた会社(吉本興業)が所属芸人に放送への出演を禁じた。しかし初代桂春團治は敢然とそれを破った。吉本では、おもな芸人はみな会社に対して多額の借金を負っているという計算にしており、その借金を取り立てるという名目で寄席(吉本興業)は春團治宅の家財を差し押さえた… という経緯は有名である(赤紙口封じ事件)。
東京に進出した吉本興業は、売れっ子ながら寄席に上がれない金語楼に強い関心を寄せた。また、既存の寄席でも、野心を持つ者(神楽坂演芸場・千葉博巳席亭)が現れた。吉本興業と千葉席亭が合同し、金語楼に新しい協会を作らせることにした。
春團治金語楼は同種のことをしたが、吉本は、春團治の生活を破壊し、金語楼には温かい救いの手を差し伸べたのである。

 なんとなく、落語協会のほうが硬いイメージがあり、幾度の対立により分裂を繰り返している一方、芸術協会は、うわさによると寄席の席亭より「人気が少なく、客入りが悪いから何とかしてほしい」として、「笑点」つながりでもある会長歌丸と六代目円楽の計らいで、「円楽襲名興行」を、分裂後久々に寄席の講座でおこなったりしてますね。

 分裂した一門でも、圓生襲名」騒動で総領弟子鳳楽と、三遊亭円丈による「襲名対決(客にどちらがふさわしいかと言う対決だったが、結局和気藹々と話に終始し、襲名については行わないことで収束した)」や、円丈の著書に誤りを指摘した六代目円楽とこれをきっかけに弟子育成と言う名目で「三遊ゆきどけの会」を開催する等変化が。


 弟子志願者は増えているそうですが、今後として、私が思うに、①顔と名前を以下に覚えてもらうか。②古典落語の更なる発掘やそれを演じる噺家の更なる育成」と思えます。

 噺家さんは所属している協会の寄席興行が主。他にテレビ局や新聞社主催のもの落語研究会国立劇場TBS)、「落語会」(ニッショーホール、もしくはイイノホール・NHK。大阪の場合はNHK大阪ホール)、「ニッカン寄席」などのほかは独演会や横浜にぎわい座、両国亭などの興行と地方独演会、2人会等。

 大相撲同様、顔と名前を覚えていただく、そして芸に磨きをかれる。「あら、あの人落語も出来るのね」と誤解されても、聞いていただけるものをめざしてほしい。

 聞くほうは、いろんな人の落語を聞いて、ファンを作ってほしい。最近はCDや動画でも見れる。CS「寄席チャンネル」もある。ひいきの噺家さんを見つけたり。時に落語を真似してみて、その世界を体験すると、面白いですよ。

いまでも、林家木久扇という名前をつけたのは、奇跡と感じています。

で、わたし、もうひとつプログやっています。大喜利オンリーの「別館夜だるま亭」を宜しく。
夜だるま亭はここをクリック