あーーーーーーー。彼岸も過ぎて、おはぎも食って、夏がおわた。
ご先祖様やお年寄りにとって、家族親類と食事をして祝うのが格別なお祝いでしょうな。
我が家は親父もおいらも車椅子で、一人ではいけないところにお墓があるので、仏壇に毎週変えるたびにお菓子を上げ、せんこうをたいておいのりを。
いろんな宗教とかありますが、おいらからしたらまず自分ところの墓や仏壇が一番大事じゃないのかなぁ。
我が家は親父もおいらも車椅子で、一人ではいけないところにお墓があるので、仏壇に毎週変えるたびにお菓子を上げ、せんこうをたいておいのりを。
いろんな宗教とかありますが、おいらからしたらまず自分ところの墓や仏壇が一番大事じゃないのかなぁ。
「おはぎ」というと、食というのは究極のきわみと言うか贅沢ですかね。もちに関しては、ご年配の方は食べたいものの上位でないでしょうか。
うちのなくなって10年ぐらいになる祖母が、一度入所先の老人ホームでベットから車椅子への乗り移りに失敗しまして、幸い怪我はなかったものの、自分の老いを感じてショックでうつになり、ものも食べられなくなってタオルで自分の首を絞めるという幻覚がありました。
ちょうど八月の盆の時期で親類が集まり、何を食べさせても受け付けなかったのですが、おいらがきて少しは食べれるようになり、「家に帰りたい」と言うようになりました。
しかし軽い睡眠剤を飲まされ、鼻から管を通し栄養をとる姿に覚悟を決めていましたが、親父が「なにがくぅでぇものねーが?(何か食べたいものがないか。)といったら、「もちが食べたい」と。
しかし軽い睡眠剤を飲まされ、鼻から管を通し栄養をとる姿に覚悟を決めていましたが、親父が「なにがくぅでぇものねーが?(何か食べたいものがないか。)といったら、「もちが食べたい」と。
大丈夫なのか。同なのかと家族会議がそのぱで。最終的に親父とおいらが、
その2ヵ月後には車椅子にのることもでき、静養室からもとの部屋に戻ることが。
さらにそれから5年、元気に暮らしていました。
やはり食べ物の力はすごいのかなぁと言うお話がもっと続けたいのですが、ここまで。
自分が食べたいというもので詰まらせてなくなっても、本望ではなかろうか
ということで、盆のあんこもちを小さく切って食べさせたらぺろりと。その2ヵ月後には車椅子にのることもでき、静養室からもとの部屋に戻ることが。
さらにそれから5年、元気に暮らしていました。
やはり食べ物の力はすごいのかなぁと言うお話がもっと続けたいのですが、ここまで。