夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

卒業して20・・・年かぁ

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 昨日もお伝えいたしましたが、おいらの個人新聞発祥の地で、中学校までの9年間と、その後今の施設入所の待機待ちで2年間いた山形病院の新築された病棟と、同病院に勤めている、いつも山形に行くと一緒に泊まってまわるわが後輩と、約束して2年間待たせた陣中見舞いに。

 山形と言うのは、真ん中に磐梯朝日国定公園の月山がどでーんっと横たわり、写真のような国道112号や、山形自動車道を通って向かいます。
 山を隔てているため、写真の第一トンネルのような(これは第二でした。)長いトンネルを抜けるだけで天気が変わります。荘内は24度前後でしたが、山形は28度あり暑かったでした。

 病院に着くと、あのせまい、喜怒哀楽が入り混じった病棟は取り壊され、いつも通う病院よりもきれいな病棟、若い看護師(そっちかよ(^-^;)にあっけにとられ。

 おいらと同級生二人、で、後輩でじつは初恋の相手の元かのが、下のお子様を連れてきてくれましたが、もう一人の同級生がなぜか惚れ直し、へんな関係に。おいおい。
 
 後輩は障がい者雇用枠で3年前にこの病院に看護助手・メッセンジャーとして入りました。事後せいのてんかんがあり、疲労がたまると発作を起こしてしまうので、セーブしながらですが、自身普段通院している病院であり、主治医もいるので安心です。
 土日、祝日も休めるので、以前いたクリーニング店よりは楽とのこと。

 休み30分しかないということで、飲み物をおごり、渡すものを渡して帰ろうとしましたが、時間も余ったので、隣接する母校の養護学校へ。

 ここにはなんとまたひとつしたの後輩が、技能技師として働いていますし、別の恩師も転向で戻ってきていました。

 校長先生も12代目になり、生徒57人に先生56人(マンツーマン?)というわれわれのときのせいとは1/3になりましたが、少子化と言うより、普通に地域の学校に通える時代になった気もします。
 逆に重度な生徒が入ってるという形に。

 病院はきれいになっていますが、学校はまだおいらのつけた傷が壁にあったり、かなり懐かしい時間を過ごして帰りました。

 減点回帰は大事ですなぁ。

 しかしあの当時、施設待機で何もすることがなく、ワープロ技術を上げるために作り始めた新聞が20年になるとは。
 当時はなんと「なかよしがようし」を切って印刷していたなぁ。今の施設に着たら、もっとひどくて、印刷失敗して大量に余った広告のうらにしていたなぁ。