こちら庄内地方は、お昼前に久々におひさまがかおを。でも夜から再び雨なんだそうで。
梅雨明けしないまま、子供たちは夏休みに入りました。体育館で体育座りしたりしながら、終業式の校長先生の挨拶はたいてい、
で、休み中は交代で学校の花壇の水遣りを忘れてひまわりが枯れたりなんかして。
夏休みは長いです。家のお手伝いや、なにかひとつよいことを進んでやりましょう
見たいなことを言い、教室では子供たちは、はよおわらして帰りたいのを我慢して担任の先生の、交通事故や水の事故にあわないように。へんな人にはぜったいついていっちゃだめですよ
みたいな挨拶をして、おのおの育てている朝顔とかの鉢植えをもって帰ったり。というか先生こそ、休み明けに苗字が変わっていたり、中には髪の毛が増えていたり、不倫とかかばれて「●●●先生はご病気でしばらくお休みになりますので。」とか、急に身ごもったりとか・・・。あったのよじつは。で、休み中は交代で学校の花壇の水遣りを忘れてひまわりが枯れたりなんかして。
いまはどういうか知りませんが、おいらたちの頃は「夏休みの友」などという
急に目の前に現れて、友達とはふてぇやつだ
みたいな、おさらいちょうやらを渡され、たいてい表紙はいつ募集したのかどっかの小学生の絵が描いてあり、裏表紙は山形県の伝統工芸品をめぐるみたいなのが。 おいらは養護学校で、みんな遠いところから来ていたりするので終業式・授業参観・保護者会の三点セットに。
夏・冬・春休みと、五月の連休ぐらいしか帰られないおいらにとっては早く帰りたいのに、なかなか保護者会が終わらなかったり、朝は朝でうきうきして5時半に起きちゃったり。
でも丸々家に居られることではなく、「中間帰棟」といって、ちゃめたちもおいらも、リハビリとかの関係で一週間戻り、全然くそおもろない病棟の看護師が考えた花火大会とかへんな行事につき合わされ、さらに中学校三年生は身高校受験のため、みんなより早く来てそういう行事にも参加せず、問題週を抱えて学校に缶詰。
しかも当時は病棟も学校もクーラーなんてないから暑い暑い。窓を開ければ回りは田んぼ。田舎の香水の匂いが・・・
でも、今となっては懐かしい。家に帰ってろくに宿題せず、自由研究と日記に妙に懲り、高校野球のスコアを一生懸命つけていた気が。あのノートどこへ行ったかなぁ。