おはようございます。
お約束どおり、まずはプログで大変お世話になっている、イケメンタクシードライバーのいっぽさんが、かつて住んでおられた山形県鶴岡市のバブル期について。
いっぽさんのプログはこちら。
じつは拝見していて、最近おいらのプログがかたぐるしく、初めて詠まれた方も居ると思われますのでの、おいらの紹介もかねて。
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じつは拝見していて、最近おいらのプログがかたぐるしく、初めて詠まれた方も居ると思われますのでの、おいらの紹介もかねて。
いっぽさんが滞在された1989年は、山形県は
平成四年べにばな国体
にむけて、わーわーやーやーまさしくバブルでした。空港が二つもでき、高速は加藤紘一が尽力し、山形新幹線は鹿野道彦が尽力して建設されます。 にしても、山形はこのころ知事よりえらい服部芳雄山形新聞グループ会長がはばかり、全国チェーンのコンビニやファーストフードの出展を、ファミリー企業を守るためことごとく出店を阻み、コンビにはなかったんです。
おいらは今より体が弱かったというか、生活面で不安があり、中学卒業後7年ほど自宅におりまして、「在宅ワーク(内職)」として、釣り糸製作(いっていの長さに釣り糸を切って針をつけて巻いて袋詰め)や、電子部品を作っては失敗していましたな。
おいらは今より体が弱かったというか、生活面で不安があり、中学卒業後7年ほど自宅におりまして、「在宅ワーク(内職)」として、釣り糸製作(いっていの長さに釣り糸を切って針をつけて巻いて袋詰め)や、電子部品を作っては失敗していましたな。
あんまり家と言うか、地区からは出ず、外出は通院程度で今とくらぺて引きこもっては居なかったが、ネガティブな。。。
プログを元に、ちょいと振り返りますと・・・
いっぽさんが最初に降り立った鶴岡駅前にあるモニュメントは、「雪の降る街を」の曲のモデルが鶴岡にちなみ、特急やきらきらうえつが到着すると、民謡「庄内おばこ」とランダムに流れます。
JR鶴岡駅についてはこちらをクリック。
いっぽさんが最初に降り立った鶴岡駅前にあるモニュメントは、「雪の降る街を」の曲のモデルが鶴岡にちなみ、特急やきらきらうえつが到着すると、民謡「庄内おばこ」とランダムに流れます。
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宿泊されたホテル白樺や、苦い思い出のα1あたりは、ほぼそのまんま。いっぽさんが負けまくったパチンコ屋さんはたぶんタクシードライバーのたまり場「サンプラザ」ではないかと。
ワンレンボディコン。くぼうるりこの「男」が流行ったあの時代、国体終了が、山形のバブルも終わった要因でした。
ちなみに現在山形で人気のゆるきゃら「じゅっきー」は、べにばな国体のマスコット「たいき君」が、国体終了後に居なくなったと思ったら「むひょうこちゃん」と結婚し、「やることやってできた子供」という設定。(;´Д`A ```