あさ、連続テレビドラマの純と愛を見終わって、チャンネルをづら小倉に隣のおじ様がかえたら、まー弁護士上がりのおばちゃま党首と口だけ弁護士上がり代表が出ていて胸焼けするような気分に。
結局理論、公約が持論になって立ち行かなくなり、立ち上がれない党と合併したり、どっかのおばば様知事が脱原発とかいって党を立ち上げたらまたくっつくし、こくみんよりてめぇの生活が第一で解党したり、それでいて民主党と自民党の扱いがなんかわるかったりの偏見報道な毎日ですな。
政治空白になっているから、また中国から船はくるし、今もまた、亀井新党が合流とか。
政治空白になっているから、また中国から船はくるし、今もまた、亀井新党が合流とか。
そんななか、とあるサイトのコラムで、仲間と話をしていると4年前に亡くなった筑紫哲也さんの話しになったとか。
その著者はさっそく、自宅にあった本を開くとこうかいてあったという。
わたしは心配性のジャーナリストを掲げてきました。
という。その著者はさっそく、自宅にあった本を開くとこうかいてあったという。
「力を持った者が、その力に任せてやろうとすることや、世の中の大多数の人たちがどっとひとつの方向に向おうとした時など、そうするとこういうマイナス、危険があるかもしれませんよ、と言い立てるが『心配性のジャーナリズム』です。」と。
晩年は体調からか歯切れも悪かったが、最後まで鋭いまなざしは衰えなかったのを覚えていますな。
筑紫さんは民主党政権を知らずに亡くなっているので、おそらく今後自民党政権が倒れ、政権がバトンタッチすることを予測していたか、かつての「日本新党」時代(細川内閣や、その後の旧社会党中心の政権)を引き合いだしていたと思います。
あの当時よりも、いや、今の民主党よりも第3極といわれる政党は怪しい気がします。
頭首の人柄、口当たりの良い発言に惑わされることなく選びませんととはいうものの、今回は一番難しい。
ただ、かつての参議院の「ミニ政党ブーム」みたいな、国会自体が軽くなっちゃった気がして残念です。
頭首の人柄、口当たりの良い発言に惑わされることなく選びませんととはいうものの、今回は一番難しい。
ただ、かつての参議院の「ミニ政党ブーム」みたいな、国会自体が軽くなっちゃった気がして残念です。
筑紫さんが今いたら、どういってますかね。