藤本さんというと、やはり11PMで、たまに遅く起きてみたときに、巨泉さんや愛川欽也さんなんかのごつごつしたしゃべまくりの中に、なんかすらっと、今なら「ダンディ」という言葉は出るが、小さいころとしては「このひと静かなオッチャンだな」というイメージだった。
なぜ夜だるま君が藤本義一さんをと思われるが、ファンになったのはつい5,6年ぐらい前からで、週刊大衆に2年ぐらい前まで連載していた「けったいな人々」からである。
この連載の書き方に、このブログも少なからず影響していたりもする。
「けったい」とは、
「けったい」とは、
けっ‐たい[形動]《「けたい(卦体)」の促音添加》奇妙なさま。おかしなさま。主に関西地方で用いる。「―なかっこう」「―な話」
なのだという。つまり、「あほにあほいうてなにがわるい、大阪はあほがおるさかいに、あほいうておこるのはけったいや」となる。 コラムの内容は時事モノや自身の幼少時、うどん屋を経営していた父は病死し母親は進駐軍のジープに惹かれて自らは、進駐軍の非常食の入った箱を密売したり(箱の中に手りゅう弾やピストルがあると高く売れたとか)、そういった生活の中で、その当時の風俗や流行を交えて書いていて面白かった。(母親には近所のうどん屋で住み込みで働いていると嘘をついていたらしいが)
そうこうしているうちに作家になり、やがて放送作家としてデビューするが、そのくだりもなかなかで、途中まで書きあがって「行き詰って逃げた」ドラマなどのシナリオの続きを書いてほしいと頼まれると、ホテルのメモをわしづかみにして大体のシナリオを描いて現場に行き、その途中までの原稿を見るや否や「こらあかんな。初めから書かないと。3日間くれたらかいたる」といって先ほどの殴り書きしたメモをもとに書き直し、自分のものにしていったらしい。
もうひとつ、「のむ・うつ・かう」を、当時高校生の孫と友達に想像させたら、「飲むはお酒、うつはじいちゃんの好きな麻雀?」ときいて、「かう」は、「おやつかなぁ」という回もあった。
脳梗塞の回に2.3週お休みし、その後それを見つけたのは娘さんでということ。ほんにんも「昔からいえにはだれかれ、時には知らない人までなかにいた」というくだりもありましたね。押し売りや勧誘の押しかけ撃退法なども。
80歳の傘寿の記念のコラムも読みたかった。あのころは初老のわがままでちょっとこわもてな安倍譲二さんに、いつもどことなくよって上目線で描く伊集院静さんとこの藤本さんの3人のコラムが楽しみでした。(あとの二人は今も連載していますが)
ご冥福をお祈りいたします。