今日はなんと十度を下回り、本当にこちらも雪が降るんじゃないかという天気。
こんな歓談の差の激しい、もとい、寒暖の差の激しい気候なので体調を崩す人が。オイラも気をつけないとまた入院なんていうことに。
こんな歓談の差の激しい、もとい、寒暖の差の激しい気候なので体調を崩す人が。オイラも気をつけないとまた入院なんていうことに。
入院というと、親父が異常性乾癬の診察で毎回皮膚科に行くたびに「入院」を進められるとか。理由は具合が悪いのではなく、塗り薬を塗ってもらうためにとか。
たしかに普段は親父一人。背中に塗ってくれる人もいないからでしょうな。
たしかに普段は親父一人。背中に塗ってくれる人もいないからでしょうな。
明日は母の日ですが、
プロレスラー、ジャンボ鶴田さんの十三回忌でもあります。
早いですね。あの時は馬場さんがなくなり、うちの母親もなくなり、そして鶴田さんが亡くなって、なんかものすごく時代を感じた記憶が。 鶴田さんをはじめてみたときは確か並み居る強敵に戦って後一歩で負けるから「善センマン」と呼ばれていたころですかね。
それから本当に覚醒し、鬼か・魔物か・怪物か。ジャンボ鶴田に不可能の文字はなーい!!!と、若林アナが絶叫したぐらい強く、長州と時間切れ引き分けの試合でもどっしりと構えた戦いを演じ、長州が疲労困憊なのに鶴田さんは飲みにいっていたり、三沢の鼻を折り、テーピングで次の日固めた鼻をめがけて攻撃したら、周りの女性ファンの悲鳴に生涯唯一キレテ、セコンドやらタックパートナーやらレフェリーやらを全部ぶっ飛ばして場外乱闘した後楽園。本人はわれに帰って何も覚えていないとか。
それから本当に覚醒し、鬼か・魔物か・怪物か。ジャンボ鶴田に不可能の文字はなーい!!!と、若林アナが絶叫したぐらい強く、長州と時間切れ引き分けの試合でもどっしりと構えた戦いを演じ、長州が疲労困憊なのに鶴田さんは飲みにいっていたり、三沢の鼻を折り、テーピングで次の日固めた鼻をめがけて攻撃したら、周りの女性ファンの悲鳴に生涯唯一キレテ、セコンドやらタックパートナーやらレフェリーやらを全部ぶっ飛ばして場外乱闘した後楽園。本人はわれに帰って何も覚えていないとか。
オイラが地元の体育館で初めてなまでまた時はすでに病魔に冒されていて、初めて秋山準と戦ったんですが、試合後は自力で歩けなかったですからね。
リングを降りれば家庭を大事にし、どちらかというとマイペースで、付け人だった三沢さんにもそんなに指示もせず(自分が若手時代にいやだと思ったことはさせたくなかったと。ちなみに三沢さんが一度中卒後入門しようとしたところ、「高校をきちんと出てからおいで。僕は大学を出てから入ったけれど、ぜんぜん遅かったとは思わなかったよ」と諭したのも鶴田さんだとか。)、晩年は全日本、馬場夫人の元子さんとも意見があわなかったようで、アメリカへ渡るときは見送りは三沢さんと数人ぐらいだったが、その三沢さんに
何かあったら連絡くれよ。ぼくはミチャワくんのみかただよ
が最後だったとか。と言うか、最後までミチャワくんだったそうで。 夢だったという前田日明との戦いも見たかった。もしかしたら、ノアに来ていたのでしょうか。
保存しているテープは徐々に劣化していても、あのときのあの勇姿は永遠ですな。
?H1>人生はチャレンジだ、チャンスはつかめ!
保存しているテープは徐々に劣化していても、あのときのあの勇姿は永遠ですな。
?H1>人生はチャレンジだ、チャンスはつかめ!