夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

補習授業

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兄弟プログの「別館よるだるまてい」更新。今回の大喜利お題は「こんな離婚条件あるか」

ここからくりっく
 きょうは食堂がいよいよ床を張り替え浩二。じゃないや工事。なのでおひるは体育館でまんま。
 そのご体育館で、われわれ就労支援グループは、サポートセンターさんの説明と登録の仕方などの研修。
 将来就職や地域生活のためのサポートをしてくれる県の組織です。

 さて、同級生のプログに、「話題がなくて書くのが大変」と書き込みしたら、「養護学校時代のことを小説風に書いたら」といわれたが、長々書くのもなぁ。
 と、思ったら、研修していてふと思った思い出を。
同級生のプログはこちらから。

 おいらのいたところは、病院と養護学校が隣同士で、真ん中を木造の北風ビュービューな全長89メートルの廊下を通って通います。(なんといまは鉄筋コンクリート(;´Д`A ```)

 おいらのクラスは車椅子はおいらだけ。あとは喘息やらネフローゼ(腎臓疾患)と登校拒否でした。
 だもんでいまなら地元の学校に通える生徒がわんさかいて、かなりパワフルでした。(今の学校の生徒はは少子化、重度化しています)
 で、普通の高校を受験すべく補習授業を行いますな。基本病院の給食(当時はなんと4時半。今はたしか5時半)を食べて、それから大体七時半ぐらいまで。
 養護学校とはいえ暖房は止まり、夏はあの当時冷房もなく(病棟にもなし。今は完備)石油ストーブたいてましたな。
 病棟へ帰るころは、警備のガードマンとすれ違ったり、先生がうっかりエレベーターの電源切ってしまい、おいらが帰られなくなったりアチャー(ノ∀^))しました。

 夏は夏で、この病棟は外に

霊安室があって、まじめこわい肝試しがーーーーーっ!!

 でも周りのお友だちはみんな立派になり、遊び人はおいらぐらいですかねぇ。
 過去を振り返りたがる日本人の習性でした。

しかし神田うの、出産後三ヶ月で12キロ減ってだいじょうぶかぁ?