夜だるま昆布長の、カウントギリギリ!(;゚д゚)(つд⊂)

Yahoo!ブログより移籍いたしました、夜だるま昆布長と申します。自身障がい者で、施設に通所しながら、日々アビリンピックの練習や、個人新聞を製作しています。Officeむいんぐ代表。林家木久扇名付け人です。山形県鶴岡市。

長門裕之さん追悼と、うちのお袋

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 俳優、長門裕之さんがなくなられました。今日告別式でした。
 長門さんというと、「ミュージックフェアー」の司会として、夫人の南田洋子さんとの印象が強いですね。(余談で、この番組はスポンサーのシオノギ製薬の影響力が強く、何らかの事情で地方では打ち切られたり放送できない都市があったりするケースがある「今では秋田など」。山形も一度打ち切られ、さくらんぼテレビ開局で再開した。)

 その長門さんを良く、なくなった母はよく恩師に良く似ていると生前言っていたのを思い出しました。

 母には身寄りがなく、一人っ子(らしい)で幼くして両親と死別し、転々と預けられた後に、当時街の医院をしていた恩師に預けられ、住み込みで働いていました。

 時代がいい時代ですからね。看護助手みたいなのから家政婦までやっさそうで、夜中往診で看護婦(看護師)がいなく、恩師とサイドカーに乗って行ったとか、けっこう交友関係が広く、駆け出しの頃の作曲家、いずみたくさんが来たことがあったとか、テレビの「ザ・ジェスチャー」が好きだったとか、やっさとお金をためて、ラジオを当時4000円で買って聴いていたとかありました。
 また、当時は恩師が離婚したばかりで、再婚するまで長く、幼い二人の息子の世話をよくしたとかで、おまつりでちくわを一本くしにさして煮ていたのを売っていたが、お小遣いがなくて母に頼んで作ってもらったとか、遊んでいるうち寂しくなって、お地蔵さんを抱いて寝ていたのを迎えに行ったというエピソードがあったとか。いま二人とも医者になり、弟は独立して開業し、兄は大きくなった病院の外科部長として、以前ちゃめが手の手術で入院したときに世話になりました。お袋は立派になった息子さんを喜んでいましたね。

 話は長くなりましたが、長門さんには、天国で本当の永遠の愛を・・・